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...... 2022年12月19日 の日記 ......
■ 《 生意気な浮浪児 》   [ NO. 2022121901-1 ] sy

【 交響曲 第1番 ハ短調 WAB 101 】
       
ブルックナー,アントン 〔墺〕
(1824.09.04〜1896.10.11) 72歳
        

          
ブルックナーの家系は十四世紀まで
さかのぼることができるが、祖父も父も学校の教師で、
母は村の役人の娘だった。
楽才をもった父から音楽を学び、10歳のころには
礼拝の折にオルガンを弾かされていた。

13歳のときに父が病気で亡くなり、
修道院の聖歌隊員に迎えられた。
父のような学校教師になるため勉強し、
27歳のときに教員免許を取得したが、
その間も音楽の勉強も続けていた。

30歳を過ぎてから和声楽、体位法、管弦楽法、
楽式論といった作曲理論を本格的に学んでいて、
音楽史のなかで珍しい存在だといわれている。

彼は敬虔なカトリック信者で、子供のような
純真な心情をもっていて、物質生活は質素で、
まったく世俗を超越した芸術生活を送っていた。

ブルックナーの音楽が世人に認められ、その名声が
内外に高まったのは、60代に入ってからだった。
人生の黄昏どきともいえる時期に入って、
あたかも落日が壮大な残照を残すかのように、
すばらしい傑作を生み出している。

ブルックナーの交響曲は9つということになっているが、
第1番以前に2つの完全な交響曲を書いている。
しかし、その2曲は世間に発表することなく、
書庫の中に秘めたままだった。

第1番は、ブルックナー自身が「生意気な浮浪児」
と呼び、「これほど自分が大胆で、生意気だったことは
ない。まさしく恋した馬鹿者のように作曲した」
と述べている。

技法的に細かい音符が頻繁に使われているが、
同じ速度の中で、音の動きの早さが極端に
変化しているのはこの曲の特徴である。

41歳のときにリンツで書き始め、翌年には
完成したが、その後も手を加え、
67歳のときにウィーン新版が完成した。
それは、ウィーン大学から名誉博士の称号を
贈られたのに対する感謝のしるしとして、
ウィーン大学に捧げられた。

最大の交響曲作家として、世界的に評価されるように
なったのは、ブルックナーの死後20年もたった、
第一次世界大戦後のことだった。

         第1楽章 Allegro
         第2楽章 Adagio
         第3楽章 Scherzo: schnell
         第4楽章 Finare: Bewegt,feurig



(管弦楽)バイエルン放送交響楽団
(指揮) ロリン・マゼール   
      ♪ 私が聴いた音源 ♪




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