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...... 2022年07月28日 の日記 ......
■ 《説教音楽》   [ NO. 2022072801-1 ] v

【「目ざめよ、と呼ぶ声あり BWV 140」】
 
バッハ,ヨハン・セバスティアン 〔独〕
(1685.03.21〜1750.07.28) 65歳
 

 
バッハ家は、ヨハン・セバスティアン・バッハから
4代前の16世紀末から、息子たちの世代である
18世紀の末にいたるまで、200年にわたり
50人以上の音楽家を輩出している。

65歳で亡くなるまでに無数の名曲をのこし、
ヘンデルと共にバロック音楽の最後を飾り、
音楽史上最大の音楽家のひとりとなった.

バッハは、亡くなる前年に卒中の発作を
おこしていて、衰えていた視力が急速に減退し、
2度にわたって眼の手術をしたが、不成功に終わり
完全に失明しただけでなく、併用した薬が
害となって体が急速に衰弱した。
一時視力が回復したが、すぐまた卒中の発作が
おこり10日後に、65歳で亡くなったと記されている。

272年前の7月28日に愛する人々に見守られ、
午後8時45分 静かに息をひきとった。
遺体は3日後の7月31日に、聖ヨハネ教会の
墓地に埋葬された。

バッハが作曲したカンタータは、300曲にも
及んだと伝えられている。
それらの大部分は、独唱、重唱、合唱に、オルガン
及び管弦楽で伴奏する教会礼拝時の説教音楽で、
コラール・カンタータである。

カンタータ第140番は、聖霊降臨節の後の
第27日曜日のために書かれたもので、1713年に
作曲されたと推察される。
喜ばしく明るく、雄大な曲で、日本での讃美歌の
第225番の「おきよ夜はあけぬ」の原曲である。

第1、4、7曲の歌詞は、詩人の宗教家で音楽家
でもあったフィリップ・ニコライ(1556〜1608)
の作で、他の曲の作詞の作者は知られていない。

第7曲のコラールは、ニコライが1599年に
作詞作曲した「目覚めよと呼ぶ声あり」を
借用していて、このカンタータ全体は
ニコライのコラールに基づいている。

第1曲 合唱(目覚めよと呼ぶ声あり)       
第2曲 レチタティーボ(彼は来る、新郎は来る)  
第3曲 アリア(いつ来るか、わが救世主)     
第4曲 コラール(シオンは見張りの裏声を聞き)  
第5曲 レチタティーボ(いざわがもとに来れ)   
第6曲 アリア(わが友はわがもの)        
第7曲 コラール(グローリアの頌め歌、汝のために)



(合唱)アウグスブルク大聖堂少年合唱団
(指揮)ラインハルト・カムラー    
        ♪ 私が聴いた音源 ♪




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