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...... 2022年04月03日 の日記 ......
■ 《 クラリネットの魅力 》   [ NO. 2022040301-1 ] ch

【 クラリネット・ソナタ 第1番 ヘ短調 Op. 120-1 】
        
ブラームス,ヨハネス〔ドイツ〕
(1833.05.07〜1897.04.03) 63歳 肝臓癌
         

             
ブラームスが亡くなる1年前の3月、病弱だった
クララ・シューマンが脳卒中で倒れ、
5月20日静かに世を去った。

ブラームスは知らせを受けて大急ぎで
駆け付けたが、途中で物思いにふけって汽車を
間違えたりして、葬儀には間に合わなかった。
それから埋葬場に急ぎ、やっと愛する女性の墓に
自ら一握りの土をかけることができた。

この悲しみと疲労が重なって身体の調子が
悪くなり、友人の勧めで医者に診てもらうと、
父親と同じく肝臓癌だった。

いろいろな療法も効き目がなく、別人のように
痩せていき、3月下旬には床から離れることが
できなくなっていた。

4月に入ると昏睡状態が多くなり、4月3日に
見舞客への「君は親切な人だ」との言葉を
最後に、それから2時間後の午前8時30分、
63年の生涯を閉じた。

葬儀は盛大に行なわれ、6日に遺体は
ウィーン中央墓地の尊敬する
楽聖たちの眠る近くに葬られた。

クラリネット・ソナタは2曲書いている。
「第1番 ヘ短調 作品120の1」
「第2番 変ホ長調 作品120の2」
作品120の2曲のクラリネット・ソナタは、
ブラームスの最後の室内楽曲であると同時に、
最後のソナタにあたり、また、変奏曲
作曲家としての最後の変奏曲をもふくんでいる。

ブラームスは、1891年3月にマイニンゲンで
優れたクラリネット奏者のミュールフェルトを知り、
その音に魅了され、その年の夏に
クラリネット五重奏曲と三重奏曲を作曲した。

それから約3年の間、晩年の余暇にピアノ用の小曲や
声楽曲などを書いたが、クラリネットに対する
情熱が去らず、1894年の夏に2曲のソナタを
流れるように書き下ろして完成した。

1892年から4年にわたる3年間は、肉親の姉を
はじめ、多くの親しい人々が先立って
死去していったので、その悲しみによる憂愁さ、
それを克服しようとする激烈さ、それと同時に、
老齢の諦観がこの2曲によく出ている。

彼は、クラリネットが他の音響的な性格をもつ
弦楽器よりも、ピアノとの組み合わせに
適合しているとみなしていた。

この作品は、晩年の他の作品にみられるような、
重厚さよりもむしろ単純簡明さをもち、
親しみやすい作風をしめし、浄化された子どもらしい
無邪気さと宗教的な諦観もみせている。

「第1番ヘ短調」は、いくぶん陰うつだが魅力的で
田園的な明るさをもっている。

「第2番変ホ長調」は、愛らしい素直な感じで始まり、
幻想曲風な旋律から、最後は力強く終わる。

この2曲を、ブラームスはヴィオラとピアノの
ソナタにも編曲している。

        第1楽章 Allegro appassionato
        第2楽章 Andante un pococadagio
        第3楽章 Allegretto grazioso
        第4楽章 Vivace



(クラリネット)ポール・メイエ         
(ピアノ)   フランソワ・ルネ・デュシャーブル
          ♪ 私が聴いた音源 ♪





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