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...... 2022年03月18日 の日記 ......
■ 《 ロシア正教会の聖歌集 》   [ NO. 2022031801-1 ] or

【「ロシアの復活祭」序曲 Op. 36 】
          
リムスキー・コルサコフ,ニコライ・
         アンドレイ・ヴィチ 〔露〕
(1844.03.18〜1908.06.21) 62歳 心臓病
        

        
ロシア国民音楽の樹立と推進に力をそそいだ、
いわゆるロシア国民楽派「5人組」の中で最年少者の
リムスキー=コルサコフは、178年前の3月18日、
父の領地(ノブゴロド近隣のティフヴィン)で、
軍人貴族の家庭に生まれ、ペテルブルクで
62年の生涯を閉じた。

幼児から音楽の才能を示し、6歳から
ピアノの稽古を始め、9歳で作曲をしている。
両親は彼の楽才は認めていたが、
特別の音楽教育をする考えはなかった。

父は官吏だったが、一族には海軍の軍人が
多かった関係から、12歳のときに海海軍兵学校に
入学し、士官候補生として6年間ここで過ごした折、
本格的な芸術音楽に接した。

遠洋航海の生活を3年間経験しているが、
彼の作品に東洋的な情緒感が漂うのは、
そのときに東洋の国々の港に寄港したときの
体験によるものである。

後に、海軍軍楽隊の指揮者をした経験から、
管弦楽の使用について様々な知識をもったことは、
オーケストレーションの完成のうえに非常に役立った。
彼の管弦楽は、色彩的であると同時に
清明な輪郭をもっており、彼が本領とした
標題音楽において、極めて効果的なものとなった。

その間作曲活動は続けていたが、27歳のときに、
ペテルブルク音楽院の教授として招請を受けた。
しかし、音楽の基礎的知識はほとんどもってなかった
彼はおおいに迷ったが、それを引き受け、それ以後、
音楽の一般的理論を身につけるために苦労した。
2年後に、海軍の軍籍は辞した。

その後、音楽院の教授を勤めながら、海軍軍楽隊の
指揮者として、宮廷礼拝堂の副指揮者として活躍した。
音楽院教授としての34年間の在職中に
数えきれないほど多数の弟子を養成した。

序曲「ロシアの復活祭」は「スペイン綺想曲」
「シェエラザード」と並ぶ管弦楽曲の傑作で、
3曲とも彼の管弦楽法が円熟した時期の作品である。

原題は、日曜日序曲「輝く祝日」で、曲は
ロシア正教会の聖歌集「オビホッド」の中の
いくつかの旋律をもとにしている。

彼は自叙伝の中で、「受難土曜日の夕方の陰鬱の
神秘的な気分から、復活祭日曜日の朝の
思いきり楽しい集いの気分への移り変わり」
であると述べている。



(管弦楽)スイス・ロマンド管弦楽団
(指揮) エルネスト・アンセルメ 
       ♪ 私が聴いた音源 ♪




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