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...... 2022年03月01日 の日記 ......
■ 《 ピアノと管弦楽合奏用 》   [ NO. 2022030101-1 ] or

【 アンダンテ・スピアナートと     
    華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 Op. 22 】


ショパン,フレデリック・フランソワ 〔ポーランド〕
(1810.03.01〜1849.10.17) 39歳 結核



ピアノの詩人と呼ばれたショパンは、212年前の
3月1日に、ポーランドの首都ワルシャワ近郊の
スカルベック伯爵夫人の所有地である
ジェラゾーヴァ・ヴォラで生まれた。

フランス人の父が、伯爵家のフランス語の
家庭教師として住み込んでいたためである。
母は伯爵夫人の遠縁にあたり、古いポーランドの
貴族出で、家政婦として働いていた。

2人の間には、4人の子どもが生まれたが、
ショパンは姉と妹2人の間の長男だった。
父はその後伯爵家を出て、学校のフランス語
教師として一生を終えた。

ポロネーズは、フランスのアンリー三世が
ポーランドの王位についた後、貴族たちが
行列行進する際の儀式用に、そしてその後政治的な
舞踏用として使われた。

最初のポロネーズは歌詞つきで作曲されたが、
次第に民族風な表現が行なわれるようになり、
気質や愛国心、任侠の精神まで示した舞踏として
隆盛をみたが、その時代はショパン以前に終わっていた。

壮大さを誇示するような3拍子の独特のリズムの
ポロネーズを、ショパンはポーランドの過去の
光栄と、現在の悲哀と憤怒と、未来への憂鬱な
予感を現わすことに成功した。

ショパンは20歳のときに祖国を離れ、
翌年の秋にフランスのパリに行った。
大勢の優れた芸術家たちが集まっていたパリで
作曲家、ピアニストとして認められ、人気を博した。

リストやメンデルスゾーン、ベルリオーズなど
才能豊かな仲間たちと出会い、音楽について
語り合ったり、共に演奏会に出演したりする
日々を送るようになった。

1831年に完成した「華麗なる大ポロネーズ」は、
ピアノと管弦楽合奏用に作曲した力強い音楽だが、
後にこの曲の序奏として、アンダンテ・スピアナートを
作曲し、優雅で華やかな作品として
1834年に出版された。

管弦楽伴奏付きに作曲した6曲の作品中
最後のもので、ショパンはそれ以後、全精力を
ピアノのためだけに集中する決心をしたようだ。



(ピアノ)アレクシス・ワイセンベルク    
(管弦楽)パリ音楽院管弦楽団        
(指揮) スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
          ♪ 私が聴いた音源 ♪




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