 【 交響曲 第8番 ヘ長調 Op. 93 】 ベートーベン,ルードヴィヒ・ヴァン 〔独〕 (1770.12.16〜1827.03.26) 56歳
 ベートーベンは全部で9つの交響曲を書いたが、 偶数番のものは軽快優美であり、 奇数番のものは豪放雄大であるといわれる。
第8番の構想が練られた1911年のある日、 ベートーベンはゲーテと面会している。 その時ゲーテは、オーストリアの皇后は 芸術に関して立派な考えをもっておらえるので、 自分は尊敬しているとの意をもらした。
それに対してベートーベンはかなり激しい口調で、 貴族なんかに、あなたや私の貴い芸術が わかってたまるものですかと言ったとか・・・
やがてこの両芸術家は腕を組み温泉街を 漫歩したが、そこへ話題にしたばかりの皇后が、 身分の高いお供に取り囲まれて向こうから来られた。
それを見てベートーベンは、皇后もお供も、 私たちに敬意を表するために道をゆずるでしょうから、 ずんずん行きましょうと言った。 しかし、ゲーテは腕を振りほどいて道の片隅により、 脱帽して敬礼の姿勢をとった。
そこで、ベートーベンだけがのっしのっしと 歩き続けたら、皇后とお供は彼のために道を ゆずったばかりかベートーベンに挨拶をせられた。
この後で、ベートーベンはゲーテに 「どうです、私の言ったとおりでしょう。 あなたもこれからは連中に敬意を表しないで、 彼らに敬意を表させなさい」と・・・
このことで、ゲーテに共に語れぬ相手だと思わせ、 さらに後になって、ベートーベンがこの事件を 会う人ごとに、面白おかしくしゃべりちらし、 ゲーテは俗物だといわぬばかりだったことが ゲーテの耳に入り、強い不快の念を起こし、 それ以後交際を断ったとのことである。
ベートーベンが人道主義に強い自信を 抱いていたことがわかるエピソードだ。
この「交響曲8番」は、第7番と同じ時期に 構想したもので、どちらもベートーベン独特の ロマンティシズムに溢れた曲で、 1814年2月27日にベートーベンの 作品演奏会で初演された。
第1楽章 Allegro vivace e con brio 第2楽章 Allegretto scherzando 第3楽章 Tempo di Menuetto 第4楽章 Allegro vivace

(管弦楽)ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 (指揮) アンドレ・プレヴィン ♪ 私が聴いた音源 ♪
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