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...... 2021年12月23日 の日記 ......
■ 《 自信作 》   [ NO. 2021122301-1 ] co

【 ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 Op. 37 】
        
ベートーベン,ルードヴィヒ・ヴァン〔ドイツ〕
(1770.12.17〜1827.03.26) 56歳
        

          
ベートーベンの作曲した協奏曲の数は、モーツァルト
に比べるとぐっと少ない。
「ピアノ協奏曲」が5曲と「ヴァイオリン協奏曲」と
「ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲」
だけである。

      ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 作品15 (1785年)
      ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品19(1795年)
      ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37 (1800年)
      ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58 (1806年)
      ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73(1809年)
      ピアノ協奏曲 ニ長調 (1807年)
      (ヴァイオリン協奏曲のピアノ版)

そのいずれも中期の時代に書かれているが、
それは耳の病のためであった。
ベートーベンは優れたピアニストだったので、
自分で演奏するために書いていたが、晩年はそれが
出来なくなってしまった。

ベートーベンが耳の異常を自覚したのは耳鳴りで、
28歳を越してまもなくだった。
次第に耳が聞こえなくなり、31歳のときに
友達に訴え、32歳のとき医師の診察を受けたが、
ますます悪化する一方であった。

その年に二人の弟に宛てて書いた遺書が、
「ハイリゲンシュタットの遺書」として知られている。

一度死を決心したベートーベンだったが、
外界の音は聞こえなくても、まだ心の中の音が
聞こえるのを発見することができた。
「私の芸術的力の発展の余地ある間は、
どんな不運にあおうとも決して死を欲しない」と、
常に心に命じていたベートーベンに、芸術の力の声が
まだ響いていることが分かり、その後も数多くの作品を
書き続けたのだった。

第1番は、第2番よりも後に作曲したもので、
出版が逆になったため最初の作品が第2番になった。
もっとも、それ以前に作品番号のない「変ホ長調」と
「ニ長調」のものもあるが、「変ホ長調」は
14歳のときの作品で、父親が2歳少なく年齢を
偽っていたので、12歳ということになっていたようだ。
 
第3番が作曲されたのは1800年のことで、
ベートーベン自身によると、ひよわさがある第1番と
第2番は自分のものとしては最上のものとは思えず、
第3番には自信を持っていたようだ。

若々しく、荒々しい男らしさが全編にみなぎる
第3番で、彼は大きく飛躍した。
それは、交響曲の世界でも、やはり第3番で
大きく飛躍している。

1803年4月5日にアン・デア・ウィーン劇場で
ベートーベンの演奏により初演された。

         第1楽章 Allegro con brio
         第2楽章 largo
         第3楽章 Rondo: allegro



(ピアノ) ヴラディーミル・アシュケナージ  
(管弦楽) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)  ズービン・メータ         
            ♪ 私が聴いた音源 ♪

【 ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58 】は 12月22日に掲載




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