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...... 2021年12月16日 の日記 ......
■ 《 没後100年 》   [ NO. 2021121601-1 ] sy

【 交響曲 第3番 ハ短調 Op. 78「オルガン付き」】

サン=サーンス,シャルル・カミユ 〔仏〕
(1835.10.9〜1921.12.16) 86歳 心臓病



サン=サーンスの父親は彼の生後間もなく亡くなり、
母と大伯母から教育を受けた。
大伯母はピアニストで、3歳未満のころに
最初の音楽の手ほどきを行い、3歳のころには
すでにかなり正確にピアノを弾いたといわれ、
5歳で作曲を始めるという神童ぶりを示した。

近代フランス音楽の父と呼ばれているサン=サーンスは、
素晴らしい天分に恵まれた作曲家であり、
優れた技巧を持ったピアニスト、オルガニストだった。

十九世紀フランスの典型的な教養人の1人で、
自ら詩を書き、劇作もした。
絵画、哲学、天文学などにも造詣が深く、博学多才で
多方面に活躍したが、1871年にフランス音楽振興のため、
国民音楽協会を設立するなど、多方面にわたって
活動を続け、多くの名誉と勲章を受けた。

晩年のサン=サーンスは、生来の旅行好みから
広く海外に旅行し、その足跡はアメリカ、北アフリカ、
セイロン、南米、東南アジアにまで及び、それら各地で
演奏をし、名ピアニストとしての名声を保ち続けた。

100年前の12月16日に旅行の途中、
アルジェのホテルで客死した。
86年の生涯だった。

彼の音楽は古典主義的基調をもち、その様式は
あらゆる大家の折衷主義のごときものだっただけに、
大衆性に富み、名演奏家としての数多くの国外旅行の結果、
国際的な大家として知られていた。

しかし、フランクやフォーレのように真にフランス的な
ユニークな特性をもたず、その後継者はいない。

彼は長生きをしたこともあって、全てのジャンルに
わたり数多くの作品を書いたことで、一作一作の密度を
薄めたとの評価もある。
「あたかも林檎の木に林檎がなるように」作曲したの
だから、まずい林檎が混じるのは当然のことともいえ
るのかも・・・

サン=サーンスは、交響曲を3曲書いているが、
第1番は18歳のときの野心的な作品、
第2番は4年後に、第3番は30年後に発表された。
彼の数多くの作品の中でも最大傑作の第3番は、
最もフランス的で完璧な音の建築として、
永遠に残る曲だといわれている。

初演は1886年5月19日に、作曲者自身の
指揮によりロンドンで行なわれた。
その3ヶ月後に、偉大な楽人リストが世を去ったが、
交響曲第3番には「フランツ・リストを記念して」と
書かれている。

   第1楽章 Adagio - Allegro moderato-Poco adagio
   第2楽章 Allegro moderato-Presto - Allegro moderato -
        Presto-Allegro moderato
   第3楽章 Maestoso - Allegro - Più allegro -
        Molto allegro-Pesante



(オルガン)マリー・クリール・アラン
(管弦楽) ウィーン交響楽団    
(指揮)  ジョルジュ・プレートル 
        ♪ 私が聴いた音源 ♪





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