【 交響曲 第3番 ハ短調 Op. 78「オルガン付き」】
サン=サーンス,シャルル・カミユ 〔仏〕 (1835.10.9〜1921.12.16) 86歳 心臓病
サン=サーンスの父親は彼の生後間もなく亡くなり、 母と大伯母から教育を受けた。 大伯母はピアニストで、3歳未満のころに 最初の音楽の手ほどきを行い、3歳のころには すでにかなり正確にピアノを弾いたといわれ、 5歳で作曲を始めるという神童ぶりを示した。
近代フランス音楽の父と呼ばれているサン=サーンスは、 素晴らしい天分に恵まれた作曲家であり、 優れた技巧を持ったピアニスト、オルガニストだった。
十九世紀フランスの典型的な教養人の1人で、 自ら詩を書き、劇作もした。 絵画、哲学、天文学などにも造詣が深く、博学多才で 多方面に活躍したが、1871年にフランス音楽振興のため、 国民音楽協会を設立するなど、多方面にわたって 活動を続け、多くの名誉と勲章を受けた。
晩年のサン=サーンスは、生来の旅行好みから 広く海外に旅行し、その足跡はアメリカ、北アフリカ、 セイロン、南米、東南アジアにまで及び、それら各地で 演奏をし、名ピアニストとしての名声を保ち続けた。
100年前の12月16日に旅行の途中、 アルジェのホテルで客死した。 86年の生涯だった。
彼の音楽は古典主義的基調をもち、その様式は あらゆる大家の折衷主義のごときものだっただけに、 大衆性に富み、名演奏家としての数多くの国外旅行の結果、 国際的な大家として知られていた。
しかし、フランクやフォーレのように真にフランス的な ユニークな特性をもたず、その後継者はいない。
彼は長生きをしたこともあって、全てのジャンルに わたり数多くの作品を書いたことで、一作一作の密度を 薄めたとの評価もある。 「あたかも林檎の木に林檎がなるように」作曲したの だから、まずい林檎が混じるのは当然のことともいえ るのかも・・・
サン=サーンスは、交響曲を3曲書いているが、 第1番は18歳のときの野心的な作品、 第2番は4年後に、第3番は30年後に発表された。 彼の数多くの作品の中でも最大傑作の第3番は、 最もフランス的で完璧な音の建築として、 永遠に残る曲だといわれている。
初演は1886年5月19日に、作曲者自身の 指揮によりロンドンで行なわれた。 その3ヶ月後に、偉大な楽人リストが世を去ったが、 交響曲第3番には「フランツ・リストを記念して」と 書かれている。
第1楽章 Adagio - Allegro moderato-Poco adagio 第2楽章 Allegro moderato-Presto - Allegro moderato - Presto-Allegro moderato 第3楽章 Maestoso - Allegro - Più allegro - Molto allegro-Pesante
(オルガン)マリー・クリール・アラン (管弦楽) ウィーン交響楽団 (指揮) ジョルジュ・プレートル ♪ 私が聴いた音源 ♪
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