 【 チェロ協奏曲(1940 )】
ヒンデミット,パウル 〔独〕 (1895.11.16〜1963.12.28) 68歳

現代ドイツの代表的作曲家であるヒンデミットは、 第1回オリンピックが開かれた前年の1895年 11月16日に、フランクフルト近郊の ハーナウで生まれた。
少年時代は満足な教育を受けなかったが、 13歳ですでにヴァイオリンの名手といわれるほどになり、 ダンス・バンドなどで自活していて、 後に高等音楽学校で教育を受けた。
彼の音楽の特徴である、常に演奏の楽しみ ということを忘れないのは、演奏家としての 経歴と密接に関係している。
非常に多作家な作曲家であったが、指揮者としても 活躍し、教育者・指導者として多くの著作もある。
1934年以降、ナチス政府から弾圧を受け、 トルコ政府に招かれてアンカラで音楽教育に打ち込むが、 1938年にスイスに亡命し、さらに1940年に アメリカに亡命して市民権を得て、エール大学の 教授に就任している。
第二次世界大戦の後は、ヨーロッパに戻り大学で 教えたが、晩年はスイスに住み、1963年に マイン河畔のフランクフルトで68年の生涯を閉じた。
ヒンデミットは、ヴァイオリン、ビオラの 演奏家でもあったが、オーケストラのほとんど すべての楽器の演奏法を修めていたので、 各楽器のソナタを数多く作曲している。
米国移住後の最初の作品となったのが 「チェロ協奏曲(1940)」だが、ヒンデミットは 1930年ごろからの作品に、作品番号を つけるのを止めていて、この協奏曲には 作曲した年の1940年がつけられている。
第1楽章 Massig schnell 第2楽章 Ruhig bewegt - Sehr lebhaft - langsamen Zeitmass 第3楽章 Marsch: Lebhaft - Trio[nach einem alten marsch] - Lebhafter
1956年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の 初の日本公演に指揮者として来日している。

(チェロ)ヤーノシュ・シュタルケル (管弦楽)バンベルク交響楽団 (指揮) デニス・ラッセル・デイヴィス ♪ 私が聴いた音源 ♪
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