[PREV] [NEXT]
...... 2021年10月14日 の日記 ......
■ 《 民族遺産 》   [ NO. 2021101401-1 ] co

【 ヴァイオリン協奏曲 イ短調 Op. 53 】

ドヴォルザーク,アントニン 〔チェコ〕
(1841.09.08〜1904.05.01) 62歳 脳溢血



音楽における民族主義運動は、十九世紀後半に
ヨーロッパの東と北を中心に起こった。

ロシアに続いて、ボヘミアやスカンディナビアの
諸国に国民楽派が確立され、チェコでは
スメタナにはじまってヤナーチェクやドヴォルザークの
手で、民族主義の香り高い花を咲かせた。

十九世紀中期のボヘミアでは、政治的独立をもとめる
民族主義運動のなかにあって、音楽においても
その豊かな民族遺産の再評価がおこなわれた。

そのころ、1862年にプラハに創立された
国民劇場のために、スメタナが多くの民族的な
歌劇を作曲していた。

青年ドヴォルザークは創立以来11年間、国民劇場の
ヴァイオリン奏者をつとめ、1866年にその楽団の
指揮者となったスメタナから、親しく教えをうけた。

少年時代からボヘミアの民謡に親しんでいた彼は、
民族音楽の作曲家として決定的な歩みを
踏み出したのである。

「彼は自然児で、考えるために立ち止まることをせず、
思い浮かんだことはなにによらず五線紙上でのべた」
とスタンフォードが言ったという。

彼の特徴である作品の隅々にまで抒情的な
美しさがあふれる豊かな旋律の才は、
十分にあらわされている。

ドヴォルザークは、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの
ためにそれぞれ1曲ずつの協奏曲を完成させている。

    「ピアノ協奏曲 ト短調 作品33」(1876年)
    「ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品53」(1879年)
    「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104」(1895年)

「ヴァイオリン協奏曲」は、年代的には初期の
ピアノ協奏曲と、後期のチェロ協奏曲の
中間に位置している。

ドヴォルザークの熱狂的な支持者であった
フランティシェク・オンドルシーチェックの
ヴァイオリン独奏により1883年10月14日に
プラハで初演された。

自由でラプソディックな形式の第1楽章。
憂鬱なスラブの気分とジプシー風の情熱が
対照的に扱われ巧妙な転調の美しさに
あふれている第2楽章。
民族色色彩が強く、ハンガリーやボヘミア地方に
多い フリヤント舞曲調の第3楽章。

     第1楽章 Allegro ma non troppo 
     第2楽章 Adagio ma non troppo
     第3楽章 Finale: Allegro giocoso,ma non troppo vivace



(ヴァイオリン)ダヴィッド・オイストラフ
(管弦楽) ロシア国立交響楽団     
(指揮)  キリル・コンドラシン    
         ♪ 私が聴いた音源 ♪





...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: