 【 交響曲 第6番 変ホ短調 Op. 111 】 プロコフィエフ,セルゲイ 〔露〕 (1891.04.23〜1953.03.04) 61歳 脳出血
 プロコフィエフは、7つの交響曲を書いている。 第1番を除けば第2番、第3番、第4番は 成功作とはいえず、あまり演奏されない。
第1番 古典交響曲 ニ長調 Op. 25(1917年) 第2番 ニ短調 Op. 40(1925年) 第3番 ハ短調 Op. 44(1928年) 第4番 ハ長調 Op. 47(1930年) 第5番 変ロ長調 Op. 100(1944年) 第6番 変ホ短調 Op. 111(1947年) 第7番 嬰ハ短調 Op. 131(1952年)
1944年に作曲した「ソヴィエト・リアリズム」の 最高傑作の一つの「第5番」は、翌年に自ら指揮をし 大成功を納めたが、直後に転倒事故を起こし、 以来生涯に渡り体調不良に悩まされた。
そうしたことから、翌年の春にモスクワを離れ、 深い緑に囲まれた村ニコリーナ・ゴーラの別荘に移り、 病とたたかいながら「交響曲第6番」を作曲した。
50代半ばを迎え、円熟味を増した心のメッセージが 聞こえる作品で、オーケストラの美しい響きや曲想の 柔らかさが特徴とされる。
3楽章からなるが第2楽章ではロシア的な旋律を 使用し、暗く哀愁を含んでいるのに対し、フィナーレは ハイドンを思わせる快速調となっている。
各楽章では、プロコフィエフ一流のやり方で、 調性はめまぐるしく変えられている。
ロシア革命30周年にあたる1947年に完成し 10月11日にレニングラードでムラヴィンスキーの 指揮により初演された。
第1楽章 Allegro marcato 第2楽章 Largo 第3楽章 Vivace

(管弦楽)ロンドン交響楽団 (指揮) ワレリー・ゲルギエフ ♪ 私が聴いた音源 ♪
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