 【 ヴィオラ協奏曲 BB 128(遺作)】
バルトーク,ベーラ 〔ハンガリー〕 (1881.03.25~1945.09.26) 64歳 白血病

ヨーロッパにとって1939年は最も暗い年で、 ナチス・ドイツは3月にチェコに侵入、9月には ポーランドに進撃し、第二次世界大戦へと続いていった。
バルトークは、すでに最愛の祖国のくるべき運命を 予測し、ヨーロッパを離れる決心をした。 1940年10月にファシズムの嵐を避けて ニューヨークへ亡命したが、彼の音楽への無理解の中で、 恵まれない生活を送ることとなった。
渡米後の作品は「オーケストラのコンチェルト」 「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」「ピアノ協奏曲第3番」 「ヴィオラ協奏曲」の4曲だけだった。
亡命から5年後の9月26日の未明、 「ピアノ協奏曲第3番」の第3楽章の最後の 17小節を残して、白血病で世を去った。 彼が曲に終止符を打つよりわずかに早く、 死が彼の生命に終止符を打ったのであった。 この曲は略記号の指示があったので、後に弟子の ティボール・シェルイがそれに従い完成させた。
バルトークの白鳥の歌となったのが、未完成の 「ヴィオラ協奏曲」だが、草稿を整理して オーケストレーションを完成させたのも彼だった。
古今の弦楽の協奏曲の中でも最も高い音楽性を もった数少ない作品の一つで、興奮があり、 悲愴があり、深い感情があり、そして適宜民謡素材も 使われた傑作である。
第1楽章 Moderato 第2楽章 Adagio religioso 第3楽章 Allegro vivace

(ヴィオラ)タベア・ツィンマーマン (管弦楽) バイエルン放送交響楽団 (指揮) デヴィッド・シャローン ♪ 私が聴いた音源 ♪
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