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...... 2021年09月08日 の日記 ......
■ 《 交響詩作家 》   [ NO. 2021090801-1 ] or

【 交響詩「死と変容」Op. 24 】

リヒャルト・シュトラウス,ゲオルク 〔独〕
(1864.06.11〜1949.09.08) 85歳 心臓病



ミュンヘン宮廷管弦楽団の第1ホルン奏者の
フランツを父に、ビール製造業者の娘ヨゼフィーネを
母としてミュンヘンで生まれた。

父は音楽家として相当の実力のあった人で、
ミュンヘン音楽院の教授、王立バイエルン
室内楽奏者だった。
彼の祖先にも、室内楽奏者になった人がいる。

27歳のときに肺炎になり肋膜炎と気管支炎を
患ったが、強い精神力と新鮮な想像力で次々と
新しい音楽の世界を開拓していった。

ナチスの抬頭とともにドイツ音楽の紹介にも
力をつくしたことで、1945年ドイツの敗北で戦犯に
問われたが、無罪となりスイスで静かな余生を送った。

青年時代から体が弱かったが、亡くなる2年前の
ロンドン公演での指揮を最後に、身体の調子が悪くなり、
次第に衰弱していき、心臓に障害をおこして
72年前の9月8日に85歳で世を去った。

リヒャルト・シュトラウスは、ブラームスに才能を
認められ、後にベルリオーズやリスト、ワーグナーの
音楽を研究し、標題的傾向のある作品に興味を
示すようになり、交響詩の世界に足を踏み入れた。

交響詩「ドン・ファン」は、彼が1888年に発表した
交響詩の第1作だが、翌年に完成した「死と変容」で、
交響詩作家としての不動の地位に達した。
「死と浄化」とも訳される。

1890年6月21日に、アイゼナハ音楽祭で、
シュトラウ自身の指揮で初演された。

シュトラウスは、病気がちで体も弱々しく、
死線をさまよう病気をしていたので、自分の
重病のときの精神的な体験を音楽化したのが
この曲だが、完成後にリッターに曲の表現する
内容の詩を依頼し、この詩を標題とした。

死の運命の動機(熱病に浮された動機)から始まり、
死との闘争を示す動機
生への執着を示す動機
恋愛の動機     
浄化の動機     
少年時代の回想の動機
青春時代を示す動機 
微笑の動機     
死の動機      
浄化の動機     
少年時代の回想の動機
恋愛の動機     
浄化の動機     
死の動機      
生への執着の動機  
恋愛の動機     
死の動機      
浄化の動機     
少年時代の回想の動機
浄化の動機     
微笑の動機     

少年時代の幸福を示す動機
最後は浄化の動機を静かにゆったりと表情豊かに
演奏して終わる。



(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) クリストフ・フォン・ドホナーニ  
            ♪ 私が聴いた音源 ♪





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