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...... 2021年07月28日 の日記 ......
■ 《 G線上のアリア 》   [ NO. 2021072801-1 ] e_or

【 管弦楽組曲 第3番 BWV1068 】
        
バッハ,ヨハン・セバスティアン 〔独〕
(1685.03.21〜1750.07.28) 65歳
        

           
バッハ家は、ヨハン・セバスチャン・バッハから
4代前の16世紀末から、息子たちの世代である
18世紀の末にいたるまで、200年にわたり
50人以上の音楽家を輩出している。

65歳で亡くなるまでに無数の名曲をのこし、
ヘンデルと共にバロック音楽の最後を飾り、
音楽史上最大の音楽家のひとりとなったバッハは、
271年前の7月28日に愛する人々に見守られ、
午後8時45分 静かに息をひきとった。
遺体は3日後の7月31日に、聖ヨハネ教会の
墓地に埋葬された。

バッハは亡くなる前年に卒中の発作をおこしていて、
衰えていた視力が急速に減退し、
2度にわたって眼の手術をしたが、不成功に終わり
完全に失明しただけでなく、併用した薬が害となって
体が急速に衰弱した。
一時視力が回復したが、すぐまた卒中の発作がおこり
10日後に、65歳で亡くなったと記されている。

バッハは管弦楽組曲を4曲書いているが、
その作曲年代については、他の器楽曲と同様、
正確なことは分かってない。

この時代の「古典組曲」は、前奏曲または
序曲で始まる、いくつかの舞曲の集合であった。
その舞曲の数や種類は、曲によって一定してなかったが
“アルマンド”“クーラント”“ジーグ”
“サラバンド”の4つの舞曲からなるものだった。

しかし、これら主要舞曲の間に適宜に、他の舞曲を
入れてもさしつかえなかったので“ガヴォット”
“メヌエット”“ブーレー”“パスピエ”“ルール”
などの他に、舞曲的性格をもたない“アリア”なども
取り入れられるようになった。
これは組曲が次第に本来の舞踏音楽的性格から、
純粋器楽に移行していったためである。

第5曲からなる「管弦楽組曲 第3番 ニ長調」は、
バッハの死後約百年の間、世の中から
忘れ去られていたが、メンデルスゾーンが
演奏会で演奏してから有名になった。

荘重な気分に溢れた旋律の美しい
「G線上のアリア」は、「管弦楽組曲 第3番」の
第2曲を、後にウィルヘルミがピアノ伴奏つきの
ヴァイオリン独奏用に、G線だけで演奏するように、
ハ長調に編曲したものである。

「G線上のアリア」のアリアは、オペラ風のアリアを
指すのではなくて、「旋律的な小曲」といった意味で、
原曲はフランス語の「エール」(air)である。

          第1曲ーOuverture
          第2曲ーAir
          第3曲ーGavotte
          第4曲ーBourree
          第5曲ーGigue



(管弦楽)イングリッシュ・バロック・オーケストラ
(指揮) ヘルマン・シェルヘン         
            ♪ 私が聴いた音源 ♪




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