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...... 2021年06月17日 の日記 ......
■ 《 現代音楽の古典 》   [ NO. 2021061701-1 ] or

【 バレエ音楽「春の祭典」】

ストラヴィンスキー,イーゴル 〔露〕
(1882.06.17〜1971.04.06) 88歳



ストラヴィンスキーは、139年前の6月17日、
ペテルブルク郊外のオラニェンバウムで、著名な
オペラ歌手の父と、音楽の天分に恵まれていた
母との間に生まれた。

家には20万余の蔵書があり、後に作品の素材となる
多くの民間伝承や、オペラのスコアが含まれていた。

9歳のときに両親はピアノの先生につけたが、
楽譜を読むことをたちまち覚え、即興演奏をするように
なったものの、特別の天分は示さなかった。

父の勧めで、大学では法律を勉強したが、学友に
リムスキー・コルサコフの息子がいて、
本格的に作曲家になる決心をした。
しかし、その後も音楽学校には入らず、法律を
勉強しながら、リムスキー・コルサコフから
作曲法や管弦楽法を学んだ。

一つの音楽作品の上演が、社会的なセンセーショナル
あるいはスキャンダルを引き起こすという例は、
それ程多くはないだろう。

音楽史上の重要な事件は、1913年5月29日の
夜に、パリのシャンゼリゼー劇場でこの
「春の祭典」が初演されたときに起った。
劇場にまき起った騒動は、この作品がもつ大胆な
独創性と衝撃力が、いかに凄まじく、人々が安心して
座っていた基盤を揺さぶりくつがえしてしまったか・・・

「現代音楽とよばれている芸術がいつから始まったのか
という事実関係を、はっきりさせようとする人々が
言及する、原点の一つになっているこの作品自体が
一つの宣言である」これはブレーズの言葉だ。

ストラヴィンスキーはある日、突然幻影をみた。
「私は幻影の中で、円になって座っている長老たちが
1人の乙女が死ぬまで踊り続けるのを見守っている、
異教徒たちの祭典を見た。
異教徒たちは、春の神の心を和らげるために
乙女をいけにえにしていたのだ。
そのことを、友人の画家レエリッヒに話すと
その霊感を創作することを、そしてもう1人の友人、
ディアキレフ(ロシア・バレエ団の主宰者)も、
バレエ曲として幻影の音楽化を勧めてくれた。

曲は2部に分かれ、第1部「大地の讃歌」が8曲、
第2部「生贄の儀式」が6曲の小曲で構成され、
切れ目なく演奏される。

野性的で生命そのもののようなリズムの
めまぐるしい交錯、原色的な色彩感、荒々しい
不協和音の咆哮(ほうこう)といった特長があげられ、
粗野で下品でグロテスクな音楽とうつるかもしれない。



(管弦楽)クリーブランド管弦楽団
(指揮) ピエール・ブーレーズ 
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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