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...... 2021年06月03日 の日記 ......
■ 《 ウィーン風ワルツ 》   [ NO. 2021060301-1 ] or

【 ワルツ「ウィーンの森の物語」Op. 325 】

ヨハン・シュトラウス二世 〔墺〕
(1825.10.25〜1899.06.03) 73歳  肺炎



「ワルツ王」のシュトラウス二世は、
幼少には父親の反対で、音楽家になる教育を
受けられなかったが、6歳のころからワルツなどを
作曲していた。

19歳で楽団を結成し、父の楽団と
競争するまでになった。
父の死後、父の楽団も指揮するようになり、
多忙な生活から過労で倒れ、それを機会に
弟のヨーゼフも楽界入りをすることになった。

38歳で宮廷舞踏会楽長の称号を受け、宮廷に
入れるようになり、ワルツの名作が次々と作られた。
父のものよりも洗練されていて、多様であり、
豊かな感覚を持っていた。

ヨハン・シュトラウス二世は3度の結婚をした。
37歳のときに結婚した最初の妻は、9歳年上の
歌手イェッティで、16年後に死去した。
その半年後には、声楽を勉強中の20歳の
リリー・ディートリヒと再婚したが、妻の不行跡と
性格の不一致から、離婚した。

59歳のとき結婚した3番目の妻の
アデーレ・ドイチェは、30歳も年下の若い未亡人で、
連れ子のアリスが、子どもをもたない
ヨハンの心を慰めた。

彼は祝福された晩年を送り、122年前の6月3日に
肺炎で73年の生涯を閉じた。
沿道には10万の市民が見送り、葬儀は盛大に
行なわれ、遺体は中央墓地に安置された。

「 ウィーンの森の物語」は、『ウィーン風ワルツ』の
代表的な曲で、すぐれた描写音楽である。
「ウィーンの森」にさえずる鳥の声をあらわすような
フルートのカデンツァ、農民の踊り「レントラー」の
重々しいリズム、それにオーストリアやハンガリア地方の
民族楽器チターなど、さまざまな要素を加えて、
ウィーン近郊の森の風景を描かせている。

フランスの国民オペラを確立したビゼーは、
シュトラウス二世が生まれた13年後に生まれ、
24年早く亡くなったが、誕生日も命日も同じである。



(管弦楽)ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) ルドルフ・ケンペ         
         ♪ 私が聴いた音源 ♪





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