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...... 2021年06月01日 の日記 ......
■ 《 民族的素材 》   [ NO. 2021060101-1 ] or

【 幻想曲「カマリンスカヤ」 】

グリンカ,ミハイル・イヴァノヴィチ 〔露〕
(1804.06.01〜1857.02.15) 52歳 



ロシア国民楽派の祖であると同時に十九世紀の
東ヨーロッパにおける国民主義音楽の先駆的存在で、
ロシア・シンフォニズムの確立者であったグリンカは、
地主の父の息子として、217年前の6月1日に
ユモレンスク州で生まれ、少年時代を
生地の村で過ごした。

近くに住んでいた叔父が、農奴で作った小編成の
吹奏楽団をもっていたので、グリンカの家の
催し事のときなどには、この楽団がやってきて、
ロシア民謡を編曲したものなどを演奏した。

少年時代にこうした民謡に親しんだことが、
やがて彼を国民音楽の創造に向かわせた
第一歩であったろうと、後にグリンカは
〈自叙伝〉の中で回想している。

1845年から47年にかけてスペイン各地を旅行し、
独特なスペイン民族音楽を収集して歩いた。
その成果として、スペインの民族音楽を用いた
管弦楽曲の傑作が生まれ、自信を得た彼は、
自国ロシアの民族的素材による交響管弦楽曲の
創造を志して、「カマリンスカヤ」を書いた。

はじめの曲名は「婚礼の歌と踊り歌」であったが、
後に「カマリンスカヤ」と改名した。

「そのころ私は偶然のことから田舎で耳にした
婚礼の歌「高い山から」と、流行していた
踊り歌「カマリンスカヤ」との間に
非常な類似のあることを発見した。
するとにわかに私の想像がはたらきだし、
私はピアノ曲の代わりに管弦楽用の
「婚礼の歌と踊り歌」を書き上げた」と
回想録の中で述べている。

「カマリンスカヤ」とは、もともと2拍子の
短い7小節の旋律を反復する、ロシア農民の
民族群舞の1つであるが、民族舞曲中小節数が
奇数で終わる唯一のものである。

ロシア民謡のもつ独特な性格を失うことなく、
これを管弦楽曲の素材として使うということは、
イタリア風音楽一辺倒であった当時のロシア楽壇では、
まだ誰も成功してなかった。

この曲の歴史的価値は高く評価されているが、
リムスキー=コルサコフは「グリンカは
『カマリンスカヤ』によってロシア民謡の旋律の
交響楽的扱い方を子孫にしめしてくれた」といい、
チャイコフスキーもまた、「樫の大木が1つの実から
生まれるように『カマリンスカヤ』には、あらゆる
ロシア音楽の流派が含まれている」と述べている。



(管弦楽)ソビエト国立交響楽団    
(指揮) エフゲニー・スヴェトラーノフ
        ♪ 私が聴いた音源 ♪





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