[PREV] [NEXT]
...... 2021年05月17日 の日記 ......
■ 《 変わり者 》   [ NO. 2021051701-1 ] s

【 三つのグノシェンヌ 】

サティ,エリック 〔仏〕
(1866.05.17〜1925.07.01) 59歳 肝硬変



サティは155年前の5月17日に、
海運業の父とスコットランド人の母との間に
オンフルールで生まれた。
幼いころ、生地で聖堂オルガニストのヴィーノから
ピアノ、グレゴリオ聖歌、それと神秘思想の
手ほどきを受けたが、
変わり者の叔父からは、性格的に感化を受けた。

母の死後、父方の祖父母に預けられたが、12歳の
ときに祖母が亡くなり、父の居るパリに移った。
後に、父はピアノ教師と再婚している。

その年にパリ国立音楽院に入学したものの、
アカデミックな音楽に反感を持ち読書に没頭した。
ことにアンデルセンの童話を愛し、
ゴシック建築・グレゴリオ聖歌を研究した。

砲兵隊に入隊したが、故意に気管支炎にかかり
除隊し、モンマルトルのカフェでピアノをひいて
生計をたてていたが、「薔薇十字教団」に
関心をもち入団した。

やがて自分の架空の宗団
「指導者イエスの芸術の首都教会」を設立し、
機関紙を発行して、気にいらぬ者を猛攻撃した。
無名にも関わらず3回学士院会員に
立候補したが、もちろん拒否された。

ドビュッシーが印象主義で近代音楽の先駆者と
なったのに対し、サティはそれよりも一層新しい
近代音楽である新古典主義音楽の先駆者だった。

第一次大戦の直後に現われて、めざましい
音楽活動を展開したフランスの六人組(プーランク、
ミヨー、オネゲル、オーリック、タイユフェール、
デュレ)の芸術は、サティーを精神的な父とし、
彼の支持、擁護、激励によって成長し、開花した。

サティーは、シンプルなものが健康であると
考えていたが、単純だけを意味するものではなくて、
純一、簡潔、簡素、素直、無邪気、天真爛漫、
純朴、平易、人の良さなどを含んでいる。

サティは20歳頃からピアノ曲を中心に
さまざまな作品を書いていたが40歳を過ぎてから、
やっと作曲家として有名になっていった。

24歳のときの作品の「三つのグノシェンヌ」の
楽譜には、小節線がなく繰り返しのパターンで
作られていて、東洋的な雰囲気でゆっくりと
デリケートに揺れつつ、静かに詩的な
音楽がつづられている。

グノシェンヌはサティの作った造語で、
ギリシャ神話のクノッソス宮殿や、
キリスト教以前から存在していた神話の宗教団体
“グノーシス派”に関係があるのではないかと
いわれているが、はっきりしたことは分かってない。

          No.1.Lent
          No.2.Avec étonnement
          No.3.Lent



(ピアノ)ジャンカルロ・シモナッチ
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: