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...... 2021年05月07日 の日記 ......
■ 《 三大バレエ 》   [ NO. 2021050701-1 ] or

【 バレエ組曲「くるみ割り人形」Op. 71a 】

チャイコフスキー,ピョトル・イリイチ 〔露〕
(1840.05.07〜1893.11.06) 53歳 コレラ



チャイコフスキーは、鉱山技師の父と18歳も
年下の2度目の妻との間に次男として、
181年前の5月7日にロシアの田舎町の
ヴォトキンスクで生まれた。

教養のある母は夫を熱愛し、20代の
若さだったが立派に家事をきりまわしていた。
両親とも音楽が好きで、父はフルートを
母は歌が上手だった。

チャイコフスキーが14歳のときに、母はコレラに
罹り40歳で亡くなり、大きな打撃を受けた。

当時のロシアでは、地方には小学校はなかったので、
上流社会では家庭教師を雇っていた。
彼の家ではフランス人のファンニーを迎え、
子どもたちの教育を任せた。
転居後も、チャイコフスキーとファンニーとの
文通は続き、大きな影響を受けた。

幼少のころから音楽的才能を示したが、
サンクトペテルブルクの法律学校で学び、
卒業後は法務省に勤務した。
しかし、2年後にアントン・ルービンシュタインが
設立した音楽学校に入学し、
しばらくして法務省の職は辞した。

チャイコフスキーの残した3つのバレエ音楽
「白鳥の湖」「くるみ割り人形」「眠りの森の美女」は、
現在いずれも全曲が上演されている。
当時のバレエは宮廷バレエで、上品な娯楽性を
重んじたために、お伽話からだけえられる空想の
世界が好んでバレエ作者によって取り上げられた。

「くるみ割り人形」(1892年)は、ホフマンの幻想的な
童話「くるみ割り人形と二十日鼠の王様」をデューマが
フランス語に訳したものが基になっている。

その年の3月19日にペテルブルグで作曲者自身の
指揮で初演され大好評を博した。

それは、2幕3場のバレエ曲「くるみ割り人形」の
音楽15曲の中から8曲を選び、演奏会用の組曲に
編曲されたものである。

しかし、数カ月後に行なわれたバレエのほうは、
あまり評判は良くなかった。

クリスマスの日、シルバーハウス家の娘マリーは
くるみ割り人形(くるみを割るための鉄製の
ハサミのようなものを人形にしたもの)をもらった。
やんちゃな兄たちがひったくってこれを壊して
しまうが、マリーは人形をやさしく寝かしつけた。
真夜中になって、二十日鼠が攻めてきた。
怪我をしていたくるみ割り人形は、
起き上がって動き出す。
大戦争となり、二十日鼠のほうが優勢だったが、
くるみ割り人形は鉛の兵隊と一緒になって戦い、
二十日鼠の王様と一騎討ちとなる。
危ういところで、マリーが靴を王様に投げ付け、
王様は倒れ二十日鼠軍は逃げ去った。
するとくるみ割り人形は、美しい王子になって
マリーをお伽の国へ案内した。

翌朝、ソファーの上で眠っていたマリーは
揺り起こされた。
夢の中の出来事だったというお話である。

第1曲 小序曲    
第2曲 行進曲    
第3曲 金平糖の踊り 
第4曲 ロシアの踊り 
第5曲 アラビアの踊り
第6曲 中国の踊り  
第7曲 葦笛の踊り  
第8曲 花のワルツ  



(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) ヘルベルト・フォン・カラヤン   
            ♪ 私が聴いた音源 ♪





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