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...... 2021年04月23日 の日記 ......
■ 《 記念的な100番 》   [ NO. 2021042301-1 ] sy

【 交響曲 第5番 変ロ長調 Op. 100 】

プロコフィエフ,セルゲイ 〔ソヴィエト〕
(1891.04.23〜1953.03.05) 61歳 脳出血



プロコフィエフは130年前の4月23日に
ロシア帝国領のソンツォフカ村の領地管理人を
していた父と、ピアノの上手な母との間に生まれ、
幼児からピアノに親しみ、5歳のときに
「インドふうガロップ」というピアノ曲を作曲した。

プロコフィエフは、帝政末期のペテルブルグ音楽院を
優秀な成績で卒業し、有能なピアニスト、
作曲家としての地位をきずきつつあった。

彼はソヴィエト革命が起った1917年の夏、
ペテルブルグ近郊の田舎でたった一人で暮らしていた。
このころ第一次世界大戦はすでに始まっていたが、
父親のいない一人息子のため、召集を免除されていた。

意識的にピアノなしで作曲をしようと試み、
ハイドンの技法をもととし、「ハイドンが現代に
生きていたら書いたであろうような作品」
を書こうとした。

この経験は、「ピアノなしで考えた主題のほうが、
ピアノの上で考えた主題より、たとえ一見奇妙な
ものでも、一層良質のものが得られる」と
確信するようになり、そして出来たものが
「古典交響曲」だった。

       第1番 古典交響曲 ニ長調 作品25(1917年)
       第2番 ニ短調 作品40(1925年)
       第3番 ハ短調 作品44(1928年)
       第4番 ハ長調 作品47(1930年)
       第5番 変ロ長調 作品100(1944年)
       第6番 変ホ短調 作品111(1947年)
       第7番 嬰ハ短調 作品131(1952年)

プロコフィエフは、7つの交響曲を書いている。
第1番を除けば第2番、第3番、第4番は
成功作とはいえず、あまり演奏されない。

しかし、1944年に作曲した「第5番」は
「ソヴィエト・リアリズム」の最高傑作の
一つとしてばかりでなく、抒情的、叙事的
交響曲として現代音楽中の傑作ともされ、
偉大な交響曲作家として認められた。

作品番号が記念的な100ということもあって、
意欲的に取り組んだ作品で、当時彼は、
「戦争が始まって、誰もかれもが祖国のために
全力を尽くして戦っているとき、自分も何か
偉大な仕事と取り組まなくてはならないと感じた」
と述べている。

1945年1月13日、モスクワ国立音楽院の
大奏楽堂で、作曲者自身の指揮のもと、
ソヴィエト全国にラジオ中継された。
(この演奏が、プロコフィエフ最後の指揮となった)

         第1楽章 Andante 
         第2楽章 Allegro marcato
         第3楽章 Adagio
         第4楽章 Allegro giocoso



(管弦楽)フランス国立管弦楽団       
(指揮) ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
           ♪ 私が聴いた音源 ♪



【 ピアノ・ソナタ 第6番 作品82 】 2015.04.24 に記載
【 ピアノ・ソナタ 第7番 作品83 】 2015.04.25 に記載
【 ピアノ・ソナタ 第8番 作品84 】 2015.04.26 に記載





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