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...... 2021年03月11日 の日記 ......
■ 《 生誕100年 》   [ NO. 2021031101-1 ] co

【 バンドネオン協奏曲 】

ピアソラ,アストル 〔アルゼンチン〕
(1921.03.11〜1992.07.05) 71歳 脳血栓



ピアソラは、イタリア移民三世の子として
100年前の3月11日にアルゼンチンの
マルデルプラタで生まれた。
3歳のときに家族と共にアメリカに渡り
幼少時代を、ニューヨークで過ごした。

9歳の誕生日にバンドネオンを贈られ、
これが彼の一生の仕事を決めることになった。
15歳のときに一家は、再びアルゼンチンに戻った。

バッハやラフマニノフの熱心なファンだった
ピアソラは、33歳の時、クラシックの作曲家を
目指し、フランスに留学した。
そのとき、初めての女性指揮者としても
活躍していたナディア・ブランジェに師事したが、
彼女の助言により自らの音楽はタンゴであることを
認識しした彼は、翌年にアルゼンチンに帰国した。

ヴァノスアアイレスのタンゴバンドで、
バンドネオン奏者として活躍し、一方で作曲家
ヒナステラなどから、音楽理論も教わって、
タンゴのリズムを基調に斬新な和声とリズムと
和声を用いたピアソラ独特の世界を作り上げ、
それまでのタンゴの常識を覆すような
クラシックやジャズを取り入れた、
新しいタンゴを創造し演奏活動を開始した。

タンゴを革命的に進化させたピアソラだったが、
あまりにも最先端をいくその音楽についていけない
人たちからは、「タンゴの破壊者」「頭が狂っている」
などと言われ、本場アルゼンチンの
オールドファンには、いまだにピアソラの音楽を
タンゴとして認めていない人もいたりする。

1960年には、その後の生涯の音楽活動の
基盤となるスタイルである五重奏団「キンテート」を
結成したが、1974年、ヨーロッパに拠点を移し、
ジャズ、ロックの表現を取り入れた活動を行った。

1978年にアルゼンチンに戻り「キンテート」を
再結成し、以後10年にわたり安定し充実した
活動は続き、82年以降、計4回来日している。

1988年「キンテート」を解散し、心臓の手術を
受けたが、2年後パリで脳血栓で倒れ、
さらにその2年後の7月5日に
ブェノスアイレスで71年の生涯を閉じた。

3楽章からなる「バンドネオン協奏曲」は、
1979年58歳のときの作品で、バンドネオンに
弦楽オーケストラ、ピアノ、ハープ、打楽器の
編成で演奏される。

バンドネオンは、アコーディオンで演奏されることも多い。

        第1楽章 Allegro marcato
        第2楽章 Milonga: Moderato
        第3楽章 Presto



(アコーディオン)ミカ・ヴァユリネン
(管弦楽)  クオピオ管弦楽団   
(指揮)   アッツォ・アルミラ  
        ♪ 私が聴いた音源 ♪




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