[PREV] [NEXT]
...... 2020年12月22日 の日記 ......
■ 《 出世作 》   [ NO. 2020122202-1 ] e_o

【 歌劇「マノン・レスコー」】

プッチーニ,ジャコモ 〔伊〕
(1858.12.22〜1924.11.29) 65歳 喉頭癌



ヴェルディ以後の、イタリア最大のオペラ作家である
プッチーニは、162年前の12月22日に
イタリアのルッカで生まれた。
  
先祖代々音楽家で、父は作曲、演奏、教育に
活躍したが、プッチーニが5歳のときに病死した。
プッチーニは、幼い時は特別音楽的才能を
発揮することもなく、学業もあまり良くなかった。

しかし母の激励と、亡父の弟子の良い指導とで、
彼の楽才は次第に芽生えていった。
苦学の末、オペラの他に教会音楽、合唱曲、
管弦楽など多くの作品を残した。

ヴェルディ亡き後、十九世紀末から二十世紀初頭の
イタリア・オペラにおいて最高の作曲家と
呼ばれているのがプッチーニである。

1893年に作曲した「マノン・レスコー」は、
第3作目の作品だが、彼がオペラ化を思いたったころ、
マスネーの「マノン」は傑出したもので、
パリで初演以来好評を博していた。
それ以前にも、数人の作曲家が歌劇を書いている。

原作はプレヴォの高名な恋愛小説の
マノン・レスコーと騎士デ・グリューの物語だが、
プレヴォは恋人が父に足蹴にされて流産したのを怒って、
父を殺害したと伝えられる恐ろしい逸話をもつ男で、
軍人から僧侶になり三転して作家になった
フランスの小説家である。

彼は、生活体験に基づいて8巻にわたる
「ある貴族の回想」を書いたが、その7巻にあたる
このマノンの物語は、1731年の作品である。

原作と歌劇ではいろいろと相違があるが、
マスネーのマノンよりは一段と忠実になっている。
しかし、台本の弱点は、マスネーのマノンを
意識し過ぎて、劇的な意味のつながりが
弱められている。

とはいえ、音楽は美しく、プッチーニ自身も
「私の最大の音楽的傑作」と呼んでいるし、
メトロポリタン・オペラの指揮者クレヴァは
「豊麗な旋律、見事な和声、人間感情の素晴らしい表出、
プッチーニの音楽的特色はすべてこれらにみられ、
しかもその最良の音楽をここに聴くことができる」
と述べている。

この作品が出来上がるまでには、6人の台本作家が
係わっていて、完成までに3年の歳月を要している。
その間、歌曲作家のトスティの協力もあった。

序奏や前奏曲はなく、4幕からなる
歌劇「マノン・レスコー」の初演は、完成した年の
2月1日、イタリアトリノの王立劇場で上演され、
切符が売り切れた上に結果は聴衆には大喝采、
批評家には好評で、出世作となった。



ー 第3幕 間奏曲 ー

(管弦楽)ベルリン放送交響楽団
(指揮) リッカルド・シャイー
     ♪ 私が聴いた音源 ♪





...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: