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...... 2020年11月23日 の日記 ......
■ 《 母なるヴォルガ 》   [ NO. 2020112301-1 ] e_or

【 交響詩「ステンカ・ラージン」 Op. 13 】

グラズノフ,アレクサンドル・
      コンスタンチノヴィチ〔露〕
(1865.08.10〜1936.03.21) 71歳



グラズノフは9歳からピアノと音楽理論を学び始め、
13歳までに作曲法を身につけていた。
14歳のときのバラキレフを知り、彼から早熟と
才能を高く評価されて、〈小グリンカ 〉と呼ばれた。
その後に学んだのがリムスキー・コルサコフで、
ロシア国民学派の伝統と、チャイコフスキーらの
西欧派の手法とを消化して、ロシア・アカデズムを築いた。

交響詩「ステンカ・ラージン」は、グラズノフが
20歳のときに書かれた。
標題音楽的な作品は他にも作曲したが、
交響詩と名付けられた作品は一曲だけだった。

文学その他のものを標題とした、単一楽章の
管弦楽の交響詩はリストによって案出された
音楽の形態だが、グラズノフは常日頃から
リストを尊敬していたので、交響詩の作品を
試みたのは当然といえる。

総譜は1888年に出版され、前年に亡くなった
ボロディンへの追悼として捧げられた。

有名なロシア民謡「ヴォルガの舟唄」を主題に始まる
この曲は、十七世紀ロシアの農民一揆の指導者の
ステンカ・ラージンのロシア民謡の素材により、
リストの交響詩の手法で作曲したもので、
その音楽は多分にロマンティックで、美しく幻想的で
しかも堂々たる力強さをもそなえている。

「ヴォルガ、ああ母なるヴォルガよ、30年の間
俺はお前と暮らしてきた。しかし一度もお前に
贈り物をしたことがなかった。今日こそ
俺の最上の宝物をお前に贈ろう。さあ!」
ラージンが捕らえ、このうえもなく愛している
美しいペルシャの王妃を、ヴォルガの怒濤の
まっただ中に放り込んだ。
そして彼は勇み立つ部下とともに優勢なる
政府軍の中に斬り込んで行った」
(序文の詩より)

「ステンカ・ラージン」は、1885年11月23日に
サンクトペテルブルグで初演された。



(管弦楽)モスクワ交響楽団      
(指揮) コンスタンティン・クリメッツ
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





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