[PREV] [NEXT]
...... 2020年11月19日 の日記 ......
■ 《 習作 》   [ NO. 2020111901-1 ] e_sy

【 交響曲 第1番 ニ長調 D82 】

シューベルト,フランツ・ペーター 〔墺〕
(1797.01.31〜1828.11.19) 31歳 チフス



シューベルトの生涯はあまりにも短かかった。

    1828年秋、兄の家に転居。
    10月初旬  兄と共にアイゼンシュタットの
           ハイドンの墓に詣でる。
    10月31日 「赤十字」で会食したが、魚料理
           一切れを口にしたのみで後は食べられず、
           これが最後の食事に。
    11月 3日 教会で兄フェルディナントの「鎮魂歌」を
           聴いたが、その後病床につく。
    11月 4日 ゼヒターについて対位法の勉強を始めたが、
           授業はこの一回で最後となる。
    11月16日 チフスと診断。
    11月19日 午後3時31歳10ヶ月の短い生涯を終え
           永い眠りについた。
           「ここで終わりだ」と言い残し・・・

シューベルトの作品は、人の心の自然な思いが、
素直に流れ出たロマンティックで、
なんの気取りもなく、あまりに純粋なので、
理屈抜きに聴き手は胸にじんとくる。
健康的で、ひねくれたところのない音楽といえる。

31年の短い生涯に彼の交遊は男性ばかりで、
華やかな女性との話題がない。
ピアノを教えていたカロリーネ、歌手のテレーゼが
登場するが、結婚はしていない。

シューベルト組といわれる画家、詩人、劇作家、
官吏、音楽家の取り巻きが多くいて、
彼はそのうちの何人かと同居生活をしていた。
画家のシュヴィントはシューベルトが亡くなった日の
日記に「シューベルトは死んだ。われわれには
彼あってこそ楽しくもあり、美しいくもあった
ものを・・・」と書いている。

飲水からチフス菌が入り、2人の医師の
誠意あふれた治療のかいもなく、
短い生涯を終わり永い眠りについたとある。

シューベルトの交響曲の「第1番」から「第3番」
までは、彼の若いころの作品で習作であって、
特殊の立場からならばともかく、鑑賞者の
立場からならば問題にならないともいわれるが・・・

「交響曲第1番 」は、わずか16歳のシューベルトが、
中学校のラング校長の誕生日を祝って作曲した
ものであるが、十分に鑑賞できる作品である。

公開の初演は、シューベルトの死の52年後の
1880年2月5日にロンドンで行なわれた。

       第1楽章 Adagio - Allegro Vivace
       第2楽章 Andante
       第3楽章 Menuetto: Allegretto
       第4楽章 Allegro vivace

D番号ー=ドイチェ番号

モーツァルトのケッヘル番号ほど一般には
知られていないが、シューベルトの作品は、
作品番号が作曲年代順についてなかったため、
後にオーストラリアの音楽学者のドイチェが
ほぼ作曲年代順に並べかえて番号をつけた。
ドイチェの頭文字Dを前につけた数字によって、
この番号が示されている。



(管弦楽)ヨーロッパ室内管弦楽団  
(指揮) ニコラウス・アーノンクール
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: