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...... 2020年11月01日 の日記 ......
■ 《ブルックナーの第一人者》   [ NO. 2020110101-1 ] e_sy

【 交響曲 第7番 ホ長調 】

ブルックナー,アントン 〔墺〕
(1824.09.04〜1896.10.11) 72歳

ヨッフム,オイゲン 〔独〕
(1902.11.01〜1987.03.26) 84歳



二十世紀を代表する巨匠指揮者のヨッフムは、
118年前の11月1日にバイエルンで生まれた。
ドイツ各地の歌劇場で活躍したが、ナチス時代の
ドイツでは、フルトヴェングラーに次ぐ名声を得た。

ブルックナーの指揮で定評があるヨッフムが
指揮者としてデビューしたときの曲が
「交響曲第7番」だった。

日本にも7回来日しているが、亡くなる前年に
アムステルダム・コンセルトヘボウを率いて
最後の来日公演を行なった。
老齢のため、腰掛けての指揮だったが、そのときに
演奏したのもブルックナーの交響曲第7番だった。

この曲は、ドイツでブルックナーを有名にした曲で、
巨匠の全ての交響曲が認められる原動力となった。
彼の出世作であり、作品中の最高峰に
位するものといわれている。

ブルックナーの作品はワーグナーの影響を
受けていて、「交響曲第3番」は敬愛する
ワーグナーに捧げている。
そして、生涯にわたって畏敬の念をいだき続けた。

出世作となった「交響曲第7番」は、ワーグナーの
病気と死とから生まれたものである。
「私は家に帰ったが、非常に悲しかった。
巨匠がもう長く生きることは不可能だと
思ったからである。
だから嬰ハ短調のアダージョ(第2楽章)を
思いついた」と手紙に書いている。

この楽章は1883年1月22日から4月21日の
間に書かれたが、ワーグナーは1882年夏頃から
病弱となり、翌年の2月13日に世を去っている。

訃報を伝えられると悲しみの中、第2楽章の
クライマックスの後のコーダを書き換えて,
哀悼の意を表した。

「非常に荘厳にかつ緩徐に」と指定された第2楽章は
この交響曲中で最も有名な楽章だが、ワーグナーが
考案した金管楽器のワーグナー・テューバの
敬けんなコラール風の静かな調べの葬送曲が悲し気だ。

ちなみにカラヤンの最後の演奏会となった
1989年4月23日に指揮をしたのも、
ブルックナーの「交響曲第7番」だった。


    第1楽章 Allegro moderato
    第2楽章 Adagio: Sehr feierlich und sehr langsam
    第3楽章 Scherzo : Sehr schnell
    第4楽章 Finale: Bewegt,doch nicht schnell



(管弦楽)ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) テオドール・グシュルバウワー      
             ♪ 私が聴いた音源 ♪





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