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...... 2020年10月15日 の日記 ......
■ 《 哲学的叙事詩 》   [ NO. 2020101501-1 ] e_or

【 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
                  Op. 30 】


リヒャルト・シュトラウス,ゲオルク 〔独〕
(1864.06.11〜1949.09.08) 85歳 心臓病

ニーチェ,フリードリヒ・ヴィルヘルム 〔独〕
(1844.10.15〜1900.08.25) 55歳    



哲学者のニーチェはライプツィヒ近郊の
リュッケンで、ルター派の牧師の子として生まれた。
幼いころから作曲を試み、ピアノもかなりの
腕前だったという。

歌曲やピアノ曲を残していて、17歳の1861年に
交響詩「エルマナリヒ」を、最後の作品となったのは
1882年に書いた「生への讃歌」だった。

31年年上のワーグナーを崇拝し、初期の著作では
ワーグナー賛美を繰り広げ、音楽家としての自分を
認めてもらおうと、ワーグナー夫妻に自作の曲を
贈ったが、全く相手にされなかった。

その後、ニーチェの思想自体がロマン主義から
離れていったこともあり、ワーグナーとは
犬猿の仲になってしまった。
ワーグナーへの傾倒と離反は、ニーチェ研究には
重要な課題といわれる。

彼は、ショーペンハウアーの影響をうけた詩人でもあり、
アマチュア作曲家だったが、音楽史における
ニーチェの名は、彼の代表的著作を題名につけられた
同時代の作曲家による作品も少なくない。

1889年にニーチェの精神は崩壊した。
そして、11年後の8月25日に肺炎のため
55年の生涯を閉じた。

1885年に発表された代表作で哲学的叙事詩といえる
「ツァラトゥストラはかく語りき」は、ゾロアスター教の
開祖ザラスシュトラのドイツ語形の一つで、
リヒャルト・シュトラウスは、32歳の1896年
8月24日に交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を
完成させたが、彼の代表作のひとつとなっている。

次のように記された旋律が次々と演奏される。

「後の世の人々について」       
「我は唯一の神を信ず」        
「信仰をもって」           
「大いなる憧れについて」       
「マニフィカート」          
「歓喜と情熱について」        
「埋葬の歌」             
「科学について」           
「病より癒えゆく者」         
「怒りではなく笑いで人間は死ぬ」   
「自分は汝にいう。人はまだ渾沌の中に 
       いなければならない、と」
「舞踏の歌」             
「夜のさすらい人の歌」        



(管弦楽)ロンドン交響楽団  
(指揮) スタンリー・ブラック
    ♪ 私が聴いた音源 ♪





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