【 ピアノ協奏曲 第5番 ヘ長調 Op. 103 】
サン=サーンス,シャルル・カミユ 〔仏〕 (1835.10.09〜1921.12.16) 86歳 心臓病
ルアンの近くにはサン=サーンスという 小さな町があるが、 サン=サーンスの父親の家系は、 ノルマンディの農家の出身だった。
彼は185年前の10月9日にパリで生まれたが、 父親は生後間もなく亡くなり、母と大伯母から 育てられ教育を受けた。
大伯母はかなり優れたピアニストで、 サン=サーンスが3歳未満のころに最初の 音楽の手ほどきを行い、5歳で作曲を始める という神童ぶりだった。
ピアニストとして楽壇にデビューしたのは11歳、 そのとき早くも成熟した演奏をしたと言われる。 17歳のときに、41歳のリストに会ったことは、 若いサンサーンスにとって大きな事件であった。 このときから2人の間には厚い友情が生まれた、
サン=サーンスは、素晴らしい天分に恵まれた 作曲家であり、優れた技巧を持ったピアニスト、 オルガニストだったが、十九世紀フランスの典型的な 教養人の1人で、自ら詩を書き、劇作もしたし、 絵画、哲学、天文学などにも造詣が深く、博学多才で 多方面に活躍し、多くの名誉と勲章を受けた。
彼は長生きをしたこともあって、全ての ジャンルにわたり数多くの作品を書いている。
晩年のサン=サーンスは、生来の旅行好みから 広く海外に旅行し、その足跡はアメリカ、 北アフリカ、セイロン、南米、東南アジアにまで及び、 それら各地で演奏をし、名ピアニストとしての 名声を保ち続けた。
1896年はデビュー50年目にあたり、これを 記念してその年の6月2日にプレイエル音楽堂で 61歳の作曲家・ピアニストの楽壇生活を祝う音楽会が 行われることになり、この会のために新しい ピアノ協奏曲をひとつ作曲したが、これが サン=サーンスの最後の「ピアノ協奏曲5番」だった。
この協奏曲は、一般に「エジプト風」と呼ばれているが、 ナイル湖畔のエキゾティシズムを漂わせる第2楽章は ピアノと管弦楽が思うままに砂漠の夜の空気を 呼吸するかのようで、夜のラプソディーである。
長い作曲生活の最後に、名演奏家がもう1度 その姿をステージにあらわしたのがこの曲で、 彼はこの後の25年間にも他の分野で作曲をし、 演奏活動を続けたのであった。
第1楽章 Allegro animato 第2楽章 Andante 第3楽章 Molto Allegro
(ピアノ) ジャン・フィリップ・コラール (管弦楽) ロイヤル・フィル管弦楽団 (指揮) アンドレ・プレヴィン ♪ 私が聴いた音源 ♪
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