[PREV] [NEXT]
...... 2020年10月09日 の日記 ......
■ 《エジプト風》   [ NO. 2020100901-1 ] e_co

【 ピアノ協奏曲 第5番 ヘ長調 Op. 103 】

サン=サーンス,シャルル・カミユ 〔仏〕
(1835.10.09〜1921.12.16) 86歳 心臓病



ルアンの近くにはサン=サーンスという
小さな町があるが、 サン=サーンスの父親の家系は、
ノルマンディの農家の出身だった。

彼は185年前の10月9日にパリで生まれたが、
父親は生後間もなく亡くなり、母と大伯母から
育てられ教育を受けた。

大伯母はかなり優れたピアニストで、
サン=サーンスが3歳未満のころに最初の
音楽の手ほどきを行い、5歳で作曲を始める
という神童ぶりだった。

ピアニストとして楽壇にデビューしたのは11歳、
そのとき早くも成熟した演奏をしたと言われる。
17歳のときに、41歳のリストに会ったことは、
若いサンサーンスにとって大きな事件であった。
このときから2人の間には厚い友情が生まれた、

サン=サーンスは、素晴らしい天分に恵まれた
作曲家であり、優れた技巧を持ったピアニスト、
オルガニストだったが、十九世紀フランスの典型的な
教養人の1人で、自ら詩を書き、劇作もしたし、
絵画、哲学、天文学などにも造詣が深く、博学多才で
多方面に活躍し、多くの名誉と勲章を受けた。

彼は長生きをしたこともあって、全ての
ジャンルにわたり数多くの作品を書いている。

晩年のサン=サーンスは、生来の旅行好みから
広く海外に旅行し、その足跡はアメリカ、
北アフリカ、セイロン、南米、東南アジアにまで及び、
それら各地で演奏をし、名ピアニストとしての
名声を保ち続けた。

1896年はデビュー50年目にあたり、これを
記念してその年の6月2日にプレイエル音楽堂で
61歳の作曲家・ピアニストの楽壇生活を祝う音楽会が
行われることになり、この会のために新しい
ピアノ協奏曲をひとつ作曲したが、これが
サン=サーンスの最後の「ピアノ協奏曲5番」だった。

この協奏曲は、一般に「エジプト風」と呼ばれているが、
ナイル湖畔のエキゾティシズムを漂わせる第2楽章は
ピアノと管弦楽が思うままに砂漠の夜の空気を
呼吸するかのようで、夜のラプソディーである。

長い作曲生活の最後に、名演奏家がもう1度
その姿をステージにあらわしたのがこの曲で、
彼はこの後の25年間にも他の分野で作曲をし、
演奏活動を続けたのであった。

         第1楽章 Allegro animato
         第2楽章 Andante
         第3楽章 Molto Allegro



(ピアノ) ジャン・フィリップ・コラール
(管弦楽) ロイヤル・フィル管弦楽団  
(指揮)  アンドレ・プレヴィン   
        ♪ 私が聴いた音源 ♪





...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: