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...... 2020年09月12日 の日記 ......
■ 《 フランス・オペラ 》   [ NO. 2020091201-1 ] e_o

【 歌劇「カストールとボリュックス」】

ラモー,ジャン・フィリップ〔仏〕
(1683.09.25〜1764.09.12) 80歳  



十八世紀フランスバロック音楽の巨匠のラモーは
「もし彼がドイツ人であったら、多分バッハよりも、
もっと偉大な音楽家と認められていただろう」と
いわれたが、フランス・オペラの歴史では
リュリの後継者として活躍し、クラブサン音楽の分野では、
クープランと並んで最盛期を築きあげた。

ラモーはディジョンで教会オルガニストの子として
生まれ、父にから音楽を学んだ。
ヘンデルとバッハが生れたのは、1685年なので
ラモーは2年年上である。

晩年のオペラはあまり成功しなかったが、
1764年に貴族に列せられ、最後のオペラの
「アバリス」の上演準備中の9月12日に
80歳でこの世を去った。

39歳のときに出版された彼の「和声論」は有名で、
「近代和声学の父」といわれた。
クラブサン曲では、クープランには詩情あふれた
旋律の優美さがあるが、ラモーの曲は卓抜な
リズムの思いつきとその巧みな操作、論理的で
明快なハーモニーと楽曲形式がみられる。

ラモーの最初のオペラが上演されたのは、
1733年で50歳のときだった。
それから1764年に亡くなるまでの30年間は多彩な
オペラを書き、一作毎に斬新な試みを行なった。

活気溢れるリズム、明解な和声、斬新な楽器法、
時には新しく登場したばかりのクラリネットなどを
使用して、前衛的な響きで聴衆を驚かせることもあった。

フランスオペラが、ヘンデルやヴィヴァルディのオペラと
大きく違っているのは、踊りの場面が多いことである。
太陽王ルイ十四世は、若いころは自らも舞台で踊っていた。

ラモーのオペラでも、踊りが重要な位置をしめている。
現代の人々にとっても、ラモーのオペラの魅力の一つが、
活気に満ちた踊りのリズムにある。

歌劇「カストールとボリュックス」が上演されたのは、
1737年で、台本は詩人のベルナールが書いた。
その後ラモーの人気は増々高まったが、
1750年代に入って保守的音家の代表者の、
ジャン・ジャック・ルソーなどから激しく攻撃された。

しかし、1754年に改訂された歌劇「カストールとボリュックス」
によって再演が成功し、論争に一応終止符が打たれた。

主要な登場人物は4人。
ギリシャ神話のスパルタの国王ボリュックスとカストールの兄弟。
カストールを愛する二人の姉妹のフェーベとテラミール。

序曲の後、フェーベが腹心の侍女に報われぬ恋を
嘆くところから第1幕が始まる。
妹のテラミールは、カストールと愛しあっているが、
その兄のボリュックスと婚約していた。

二人の恋を知ったボリュックスは、自分が
身をひくつもりだった。
そのとき、フェーベの手引で、敵の軍隊が侵入し、
激しい戦闘でカストールが死んでしまった。

第2幕はカストールの葬儀を導く太鼓の連打で始まる。
スパルタ人たちとテラミールが次々と悲痛な嘆きを歌う。
フェーベはテラミールに 恋を諦めれば魔法の力で
カストールを蘇えらせると言う。
そこに勝利の歌が聞こえてきた。
ボリュックスは 敵を撃ち破ったのだった。

第3幕でボリュックスは、父親のジュピターと会い、
カストールを戻してくれるよう頼む。
ジュピターは、ボリュックスがカストールの代わりとして、
黄泉の国に留まることが必要だと答えたものの、
快い音楽や踊りで、その考えを変えさせようとした。

カストール(カウンターテナー)
ボリュックス(バス)     
テラミール(ソプラノ)    
フェーベ(ソプラノ)     
ジュピター(バス)      



(管弦楽)イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
(指揮) ジョン・エリオット・ガーディナー  
            ♪ 私が聴いた音源 ♪





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