【 交響曲 第1番 ハ短調 Op. 4 】
マニャール,アルベリク 〔仏〕 (1865.06.09〜1914.09.03) 49歳
ラベルよりも10歳年上のマニャールは、 1865年6月9日にパリで生まれた。
パリ音楽院で対位法をデュポアに、作曲を マスネに師事したが、後にフランクの弟子の ダンディの元で指導を受けた。
31歳のときに結婚をし、翌年からはダンディが 設立したスコラ・カントルムで教えたが、 そのころから難聴に悩まされるようになり、 教鞭をとったのは、半年くらいだった。
その後は作曲家として活動し、1905年に パリの北の町美しい水と空気に恵まれた バロンに居を構えた。
第一次世界大戦が始まった106年前の 9月3日に自宅に入ってきたドイツ軍と 銃撃戦の末炎の中で、49年の生涯を閉じた。
「交響曲 第1番」は、1889年から翌年にかけ、 ダンディのアドバイスを受けながら作曲された。 そして作品はダンディに捧げられた。
第1楽章 Strepitoso 第2楽章 Religioso 第3楽章 Presto 第4楽章 Molto energico
(管弦楽)トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団 (指揮) ミシェル・プラッソン ♪ 私が聴いた音源 ♪
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