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...... 2020年08月09日 の日記 ......
■ 《 最後の作品 》   [ NO. 2020080901-1 ] e_ch

【 ヴィオラ・ソナタ ハ長調 Op. 147 】

ショスタコーヴィチ,ディミトリー〔ソビエト〕
(1906.09.25〜1975.08.09) 68歳 肺癌


 
二十世紀を代表する大作曲家のショスタコーヴィチは、
ペテルブルクの鉱山技師の家庭に生まれた。
父は大の音楽愛好家、母はペテルブルク音楽院出身の
ピアニストで、彼は母からピアノの手ほどきを受け、
後にペテルブルク音楽院で学んだ。

卒業作品として発表した交響曲第1番で、
一躍天才作曲家として認められた。
「ソヴィエトの生んだ最初の天才」
「現代のモーツァルト」といった賛辞につつまれた。

ショスタコーヴィチは、映画音楽から歌謡曲まで、
あらゆるジャンルの曲を作曲している。
ソヴィエトの現実を考えると
それも仕方のないことだったのだろう。

共産党の作曲家批判にあい、社会主義リアリズムの
立場をとるようになった時期に作曲した
「交響曲第5番」は屈指の傑作といわれ、
彼の代表作に数えられる。

共産党機関紙から“ブルジョア的”と名指しで
批判されいったん失脚したが、社会主義
リアリズム路線に忠実な古典的傑作の
「交響曲第5番」を作曲した後、カンバックした。 
彼は生涯をソビエトで過ごしている。

最後の作品となった「ヴィオラ・ソナタ」を
完成させたのは亡くなる5日前だった、
その後、体の不調を訴えて入院し、45年前の
8月9日にモスクワで肺癌のため世を去った。

ヴィオラ奏者のドルジーニンは、「ヴィオラ・ソナタ」が
完成する1カ月ほど前に、ショスタコーヴィチから
この曲について、相談の電話を受けていて、
その後も二人で訂正をしながら完成し、
ドルジーニンに捧げられた。

1971年モスクワ音楽院で教えていたドルジーニンと
アシュメットとの出会いなどを経て演奏されるに至っている。

初演は1975年10月1日にグリンカ・ホールで、
ヴィオラ=ドルジーニン、ピアノ=ミハイル・ムンチャンで
行なわれ、観衆に感動を与えた。

         第1楽章 Moderato
         第2楽章 Allegretto
         第3楽章 Adagio



(ヴィオラ)ユーリ・バシュメット  
(ピアノ) スヴャトスラフ・リヒテル
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





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