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...... 2020年07月23日 の日記 ......
■ 《 ポルトガルで宮廷楽長を 》   [ NO. 2020072301-1 ] e_or

【 シンフォニア 第10番 ト長調 】

スカルラッティ,ドメニコ 〔伊〕
(1685.10.26〜1757.07.23) 71歳



ドイツのバッハ家、フランスのクープラン家、
イギリスのパーセル家とならんで、イタリアで
十七〜十八世紀に全盛を誇ったスカルラッティ家からは、
2人の著名な作曲家が相次いで出た。

その1人は、オペラ方面に活躍したアレッサンドロで、
もう1人はナポリで生まれた、息子のドメニコである。

彼は、チェンバロの演奏にすぐれた腕をもっていたので、
チェンバロ用の曲を数多く作った。
ソナタと名付けた曲は、現在知られているだけでも、
555曲ほどある。

どれも単一楽章の曲で軽妙でロココ的な風情をもち、
演奏技法面では、両手を交差させる奏法を取り入れた
初期の代表的な例があるし、3度と6度の並行を
豊かに用いる、8度以上にわたる跳躍をおく、トリル、
スタッカート、レガートで巧妙な対比の効果を出す、
分散和音を半進行させるなど、いろいろな
新しい方法を案出し、当時には珍しい新鮮な感覚で
生き生きとしたソナタを作曲した。

これらのソナタの作曲年代はほとんど分からず、
スカルラッティの曲を研究したロンゴの整理番号である、
L番号がつけられることもあるが、後にアメリカの
すぐれたチェンバロ奏者でスカルラッティ研究者の
カークパトリックのカークパトリック番号で
よばれることもある。

彼の約555曲のチェンバロ・ソナタは、すべて
王女マリア・バルバラのために書かれている。
当時、スカルラッティはポルトガルのジョアン五世に
宮廷楽長として仕えていたので、王女に
チェンバロを教えていた。

その後、生涯にわたって王女の供をつとめることに
なり、スペイン王子ヘルナンド(後のヘルナンド六世)
の許に嫁すると、随伴してスペインに移り、
マドリードに定住したが、263年前の7月23日に
同地で71年の生涯を閉じた。
ポルトガル宮廷から爵位を受けている。

「シンフォニエッタ」もソナタ同様作曲年代はわからず、
ソナタにつけられた整理番号もない。

第1楽章 Allegro
第2楽章 Grave
第3楽章 Allegro



(古楽器アンサンブル)ラルテ・デラルコ
(指揮) フェデリコ・グリエルモ   
        ♪ 私が聴いた音源 ♪





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