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...... 2020年06月15日 の日記 ......
■ 《 ペールの波乱万丈の物語 》   [ NO. 2020061501-1 ] e_or

【 組曲 「ペール・ギュント」】

グリーグ,エドヴァルド・ハーゲループ〔ノルウェー〕
(1843.06.15〜1907.09.04)  64歳



171年前の6月15日にベルゲンで生まれた
グリーグの家柄は、スコットランド系の血をひき、
十八世紀半ばにノルウェーに移り住んだといわれる。

ピアニストの母親から手ほどきを受け、
15歳でドイツのライプツィヒ音楽院に留学した。
ドイツ様式の作曲法や理論をみっちり学び、
19歳で卒業し、祖国ノルウェーの生地でピアニスト、
作曲家としてデビューした。

しかし、その後はノルウェー人の感情や語法を
独自の音楽に作り上げ、雄々しくおおらかな
迫力の中に、細やかな叙情性をたたえた、
ノルウェーならではの音楽を目指した。

ノルウェーを代表するロマン的国民音楽の
作曲家であり、ピアノ奏者だったグリーグは
「北欧のショパン」と、コペンハーゲンで
学んでいたときは「デンマークのメンデルスゾーン」
とも言われていた。

24歳で結婚した相愛の従妹のニーナは、
優れた声楽家で、家庭的にも音楽的にも
グリークの好伴侶となり数多くの叙情的な
歌曲の紹介者ともなった。

グリーグのピアノ協奏曲は「イ短調」1曲だけだが、
組曲「ペール・ギュント」とともに、
彼の不朽の名曲として、愛されている。

「ペール・ギュント」は、 ノルウェーの文豪イプセンが、
母国に伝わる民話の英雄ペール・ギュントの
波乱万丈の物語に題材をとって書き上げた、
同名の5幕の詩劇の上演に際して、同国人の
新進作曲家グリークに劇音楽の作曲を
依頼したのをうけて、1874年から翌年にかけて
作曲したものである。

劇音楽は全23曲から作られているが、後に
グリークは特にすぐれた4曲を選び、演奏会用の
作品にまとめたのが、第1組曲作品46で、ひき続いて
やはり4曲を選んで第2組曲作品55がまとめられた。

    * 第1組曲 作品46 *  

   第1曲「朝の気分」       
   第2曲「オーゼの死」      
   第3曲「アニトラの踊り」    
   第4曲「山の魔王の殿堂にて」  

    * 第2組曲 作品55 *  

   第1曲「イングリードの嘆き」  
   第2曲「アラビアの踊り」    
   第3曲「ペール・ギュントの帰郷」
   第4曲「ソルヴェーグの歌」   

最愛の母親オーゼが、ペールにみとられながら
死んでゆく場面の音楽が「オーゼの死」。

森の小屋で哀れな老人となってやっと帰ってきた
ペールを、昔の恋人ソルヴェーグが優しく抱いて歌う・・・
その歌を耳にしながら、ペールは死んでゆく。
女の永遠の愛をうたった名歌「ソルヴェーグの歌」は、
よく知られている。



(管弦楽)エーテボリ交響楽団
(指揮) ネーメ・ヤルヴィ 
    ♪ 私が聴いた音源 ♪





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