 【 交響曲 第4番 ヘ短調 Op. 36 】
チャイコフスキー,ピョトル・イリイチ 〔露〕 (1840.05.07〜1893.11.06) 53歳 コレラ?

交響曲第4番は、チャイコフスキーの交響曲の中で 最も変化の多い、最も情熱的な曲である。 彼の特色とする旋律の暗い美しさ、構成の巧みさ、 管弦楽の取り扱いの妙、これらがこの曲を 永遠に愛されるものとしている。
終曲の第4楽章では、ロシア民謡「野に立つ樺の木」の 素朴な美しい調べが第2主題で使われている。
この曲を作ったときのチャイコフスキーは、不幸な結婚に 悩んでいた時代だが、その少し前の1876年の終わりごろ、 フォンメック未亡人との間に不思議な交際が始まっていた。
音楽院教授をつとめていた36歳のチャイコフスキーに、 45歳の裕福なフォン・メック未亡人が 年金の援助を提供したのである。 2人は文通だけのお付き合いで、 一度も会うことはなかったのだが・・・
1877年、突如として第2の女性が現れた。 音楽院のかつての弟子である28歳のアントニーナの 暴風的な情熱に振り回されて結婚はしたものの、 一月もたたないうちに、チャイコフスキーは 家を出てしまった。
少ししてからまた彼女と同棲したものの、 またまた2週間で家を出、ある夜モスクワ川の水に 腰まで浸って凍死をしようとしたところを救われた。
10歳年下の弟のアナトーリーが病院に入れ、 退院後も兄の世話をし、1878年の1月に この交響曲は完成した。
この曲の扉には「わが最も良き友に」と記されてあったが、 この「良き友」とはフォン・メック未亡人のことである。
初演は、2月22日にモスクワのロシア音楽協会演奏会で、 ルビンシティンの指揮により行なわれた。 チャイコフスキーはこのときイタリア旅行中で、 フィレンツェに滞在していた彼のもとに、 初演の成功を伝える電報が届いた。
第1楽章 Andante sostenuto - Moderato con anima 第2楽章 Andantino in modo di canzona 第3楽章 Scherzo: Pizzicato ostinato - Allegro 第4楽章 Finale: Allegro con fuoco

(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (指揮) ヘルベルト・フォン・カラヤン ♪ 私が聴いた音源 ♪
|
|