【 ピアノ三重奏曲 ヘ短調 】
フィビフ,ズデニェク 〔チェコ〕 (1850.12.21〜1900.10.15) 49歳
フィビフは、当時オーストリア帝国の支配下にあった ボヘミア地方でチェコの貴族に仕える父親と、 ウィーン出身の母親との間に169年前の 12月21日に生まれた。
母親からピアノの手ほどきを受け、 後にライプツィヒ音楽院で学んだ。
23歳のときに結婚し、翌年双子の男女が 生まれたが、その日に男児は亡くなり、2年後には もう一人の女児が、そして妻も亡くなってしまった。
妻が自分の姉と一緒になってくれるよう 願っていたので、 再婚をし男児が生まれたが、 43歳ごろから教え子のアネシュカ・シュルゾヴァーと 親密な関係が始まり、フィビヒが世を去るまで続いた。
1900年10月15日に風邪をこじらせて、 49年の生涯を閉じた。 5年後に、アネシュカは自らの手で生涯を閉じている。
スメタナ、ドヴォルザークに次いで、ボヘミア 国民楽派の創始者の一人に数えられるが、 初期の段階からシューベルト、シューマン、 ワーグナー、ブラームスなどから、ドイツロマン派的 色彩を強く受けている。
「ピアノ三重奏曲」は、22歳のときの1872年に 作曲したが、翌年に妻子が亡くなり、不幸を 予感させるような作品となっている。
3楽章からなり、悲劇的な第1楽章。 第2楽章の美しさは、彼の名を国際的にしている、 クーベリックによる編曲「詩曲」を感じさせる。 終楽章は、シューマンのピアノ入りの室内楽曲からの 影響もみられるが、22歳の作曲者フィビヒの 溢れ出る若さと個性のひらめきが感動を呼ぶ。
第1楽章 Molto con fuoco 第2楽章 Adagio ma non troppo 第3楽章 Vivacissimo
(演奏) 新プラハトリオ ♪ 私が聴いた音源 ♪
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