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...... 2019年10月28日 の日記 ......
■ 《初演後の死》   [ NO. 2019102801-1 ] e_sy

【 交響曲 第6番 ロ短調「悲愴」 Op. 74 】

チャイコフスキー,ピョトル・イリイチ 〔露〕
(1840.05.07〜1893.11.06) 53歳 コレラ



ロシア最大の作曲家、チャイコフスキーの
「交響曲第6番」は1893年10月28日に
本人の指揮のもとペテルブルグで初演された。

初演の後、彼は弟のモデストに「この曲を
『第6交響曲』と名付けるのは淋しすぎる・・・」
「トラジック(悲劇的)はどうだろう」との返答に
チャイコフスキーが反対した。

モデストはしばらく別室に退き、急に
「パテティック(悲愴)」を思いついて、兄の室に
戻ってこれを言うと「うまい、ブラヴォ、パテティックだ」
楽譜の上にSymphonic pathétique と書かれ、
出版社に送られたとある。

チャイコフスキーには10歳年下の双子の弟
(モデストとアナトーリー)がいた。
二人が生まれたとき、元家庭教師だったフランス人の
ファンニーに宛てた手紙に「ばくは二人を見るたびに
二人の天使が地上に降りてきたような気がします」
と書いて送った。

アナトーリーとは手紙のやりとりを頻繁にしていて、
「悲愴」の作曲の経過も詳しく知らせていた。
「これは私の最上の作となるだろう・・・」と書いている。

全曲に暗い翳と絶望感をもって終わる「悲愴」の
初演9日後に、チャイコフスキーはコレラのため
永遠の眠りについた。

苦悩、不安、焦燥、哀切、惨烈な苦闘、感傷、哀歌、
悲痛、哀傷、悲嘆、苦悩 ・・・交響曲第6番
「悲愴」について書かれた解説書に出てくる言葉である。

この曲は4楽章からなるが、第1楽章の序奏から
恐怖におののくような暗いものがのしかかってくる。
ロシア民謡によく出てくる4分の5拍子の第2楽章は、
速度が速く、軽快に流れるものの、暗い雲が低迷する。
スケルツォと行進曲を合わせた二部形式の第3楽章。
終曲の第4楽章は、きわめて重く暗い楽章で
「悲愴」そのものである。

       第1楽章 Adagio- Allegro non troppo
       第2楽章 Allegro con grazia
       第3楽章 Allegro molto vivace
       第4楽章 Finale.Adagio lamentoso



      (管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
      (指揮) ヘルベルト・フォン・カラヤン
                 ♪ 私が聴いた音源 ♪





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