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...... 2019年10月19日 の日記 ......
■ 《 哀愁 》   [ NO. 2019101901-1 ] e_co

【 チェロ協奏曲 ホ短調 Op. 85 】

エルガー,エドワード〔英〕
(1857.06.02〜1934.02.23) 76歳       

デュ・プレ,ジャクリーヌ (英)
(1945.01.26〜1987.10.19) 42歳 多発性硬化症



イギリスが生んだ天才女流チェリストの
デュ・プレは、オックスフォードで生まれた。
4歳からチェロ学び、並外れた音楽的才能は
すぐさま開花した。

16歳のときにロンドンでデビューした。
バッハからエルガーまで幅広いレパートリーがあった。

22歳のときに、ピアニスト・指揮者の
バレンボエムと結婚し、ピアノソナタなど、
数々の名演を残している。

1973年の春に来日したが、体調不良のため
演奏会はキャンセルされ、秋に不治の病の
多発性脳背髄硬化症と診断された。

演奏活動ができなくなり、引退を余儀なくされたが、
数年間は、後進の育成をあたった。
しかし、ほとんど寝たきりの状態が続き、
32年前の10月19日に42年の生涯を閉じた。

悲愴的なエルガーの「チェロ協奏曲」を
演奏する生前のデュ・プレは、イギリス国内で
大衆的な人気を集めた。

エルガーが作曲家として成功し、大作を
次々と発表した創作活動の最盛期は、41歳から
62歳にかけての約20年間で、その最後の大作が
この「チェロ協奏曲ホ短調」である。

1919年62歳のときの作品で、全体を通じて
流れる哀愁が印象的である。
エルガーがもつ独特のリリシズム、叙情性が
この1曲に集約されているともいえる。

この当時は、ヨーロッパでは第一次世界大戦の
影響で荒廃していた時期にあたる。
イギリスも大変な打撃を受けていて、愛国者の
エルガーは戦争中には国民の感情を高めるために、
勇ましい行進曲などを作曲していたが、
それはエルガーにとっては苦痛だった。
そのことを気に病み後悔をしていたエルガーの
心情が 哀愁となってあらわれている。

4楽章からなるが、1、2楽章は続けて演奏される。

       第1楽章 Adagio - Moderato
       第2楽章 Lento - Allegro molto
       第3楽章 Adagio
       第4楽章 Allegro - Moderato -
         Allegro ma non troppo

1919年10月に初演されたときは、
評判にはならなかったが、次第に人気を得て、
カザルスをはじめ多くの名演奏家の
レパートリーとなって演奏されている。



       (チェロ)アリサ・ワイラースタイン
       (管弦楽)シュターツカペレ・ベルリン
       (指揮) ダニエル・バレンボイム
              ♪ 私が聴いた音源 ♪





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