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...... 2019年10月06日 の日記 ......
■ 《 ポーランド音楽 》   [ NO. 2019100601-1 ] e_ch

【 弦楽四重奏曲 第2番 Op. 56 】

シマノフスキ,カロル 〔ポーランド〕
(1882.10.06〜1937.03.29) 54歳



十九世紀末から二十世紀前半にかけて、
ポーランドを代表する音楽家として、きわめて充実した
重要な動きをみせていたシマノフスキは、ショパンが
亡くなって33年後の10月6日ににウクライナで生まれた。

低迷していたポーランド音楽に活を入れ、
最終的には自国の民族様式を確立した
近代ポーランド最大の作曲家として知られている。

当時ロシア帝国の支配下にあったポーランドは、
1095年のロシアの革命騒動を機に、民族独立の
運動を開始し、作家や音楽家、物理学者の
キュリー夫人などがこの動きに加担した。

その年に結成された「若いポーランド」は、
保守的な音楽から脱却して、新しい二十世紀的な
ポーランド音楽の創造を目ざしていて、
シマノフスキーもメンバーの一人だった。

彼の初期の音楽は、ショパン、スクリャービン、
ブラームス、R・シュトラウスなどの影響がみられるが、
やがてドビュッシーの印象主義を知り、
ラヴェルに傾倒し、その中から個性的な
方向を見いだしていった。

多作者ではなく、また大向こうをうならす派手な
表現の人ではなかったが、ショパンに続いて
ポーランドの民衆の心を作品の上に打ち出した。

ポーランド山岳地方の音楽、民謡や民族的な
舞曲の要素をそのまま使うのではなく、
バルトークがハンガリーで試みたように、
ポーランド人が持つ音に関する感性を
シマノフスキの言葉として取り組んだ。

晩年は経済的に恵まれないうえ、肺結核が悪化し、
転地療養のため各地を転々とした末、
ローザンヌで54年の生涯を閉じた。

弦楽四重奏曲は第2番は、1927年に行なわれた
フィラデルフィア音楽財団主催のコンクールに
出品した作品である。
この時に入賞したのは、バルトークの
「弦楽四重奏曲第3番」だった。

      第1楽章 Moderato dolce e tranquillo
      第2楽章 Vivace, scherzando
      第3楽章 Lento - Moderato



        (演奏)カルミナ弦楽四重奏団
            ♪ 私が聴いた音源 ♪





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