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...... 2019年09月20日 の日記 ......
■ 《 名人芸 》   [ NO. 2019092001-1 ] e_ch

【 バスク奇想曲  Op. 24 】

サラサーテ,パブロ・デ 〔西〕
(1844.03.10〜1908.09.20) 64歳 気管支炎



無数のヴィルトゥオーソたちが名人芸的演奏の
黄金時代を築きあげた十九世紀における、
もっとも優れたヴァイオリニストのひとりにあげられる
サラサーテは、スペインのパンプローナで生まれた。

父は軍楽隊の楽長で、ヴァイオリンの手ほどきを
父から受け、8歳ですでにステージで
演奏するほどの才能をみせた。

彼は10歳のときに、マドリードの宮廷での
御前演奏に妙技をしめし、女王イザベラから
ストラディヴァリウスの名器を与えられている。

12歳でパリ音楽院に入学し、在学中には
作曲も学び作品も残している。

卒業後は演奏家としての道を歩み始め、
演奏旅行で広範囲に足跡を残し、一生を
成功につぐ成功のうちに過ごし、莫大な
富を得て、111年前の9月20日に
ピアリッツで生涯を閉じた。
その財産の大半は、慈善救済事業に
投ぜられたといわれる。

彼は驚くべき名技巧ヴァイオリニストで、
華麗な名人芸と、魔術的、悪魔的ともいうべき
怪しい音色と魅惑的な歌い回しで、
聴くもの全てを魅了したといわれ、他の
大作曲家たちの創作意欲をも刺激し、
サンサーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」、
ラロの「スペイン交響曲」など、数多くの
名曲を生み出し、それらの曲は
サラサーテに捧げられた。

パガニーニが世を去って4年後にサラサーテは
生まれているが、パガニーニの関係の作品を
演奏することを避けたといわれている。
音楽的趣味の相違からくるものもあったが、
サラサーテは非常に小さい手の持ち主だったため、
長い指の広がりを必要としたそれらの曲の
演奏は、彼には適さなかったのが理由のようだ。

「バスク奇想曲」はビスケー湾に臨む
イベリア半島のつけ根の部分のバスク地方の
民族音楽により、かなり長い技巧曲で
演奏は非常に難しい作品である。

         第1部 Moderato 
         第2部 Allegro moderato



       (ヴァイオリン)ユリア・フィッシャー
       (ピアノ) ミラナ・チェルニャフスカ
               ♪ 私が聴いた音源 ♪





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