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...... 2019年08月08日 の日記 ......
■ 《 教育者として 》   [ NO. 2019080801-1 ] e_ch

【 ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 Op. 44 】

ミャスコフスキー,ニコライ 〔露〕
(1881.04.20〜1950.08.08) 69歳



チャイコフスキーの流れを受け継ぐ一人の
ミャスコフスキーは、父親が軍の技術者だったことから、
ワルシャワ近郊のロシア軍の要塞で生まれ、
63年前の8月8日にモスクワで世を去った。

9歳のときに母が亡くなり、ソプラノ歌手の叔母に
育てられ、父の希望で、ペテルブルクの士官学校に
行き軍人となったが、音楽への思いは断ち切れずに、
25歳でペテルブルク音楽院に入学し、
リムスキー・コルサコフの薫陶を受けた。

卒業後は音楽を教えていたが、第一次世界大戦が
勃発し、オーストリア戦線で3年間戦ったものの
負傷をしたため、モスクワに配属され40歳のときに
モスクワ音楽院の作曲科教授に就任した。

作曲家としてよりも教育者として知られていて、
69歳で亡くなるまでモスクワ音楽院でハチャトリアンや
カバレフスキーなどの多くの優れた作曲家を育てた。

10歳年下のプロコフィエフとは、音楽院在学中に
親交を結び、お互いの才能を高く評価し、
尊敬しあい、その友情は生涯続いた。

プロコフィエフは「ロシアで重要な作曲家を
3人挙げるとしたら?」との問いに
「ストラヴィンスキーと私、そしてミャスコフスキー」
と答えたと言われている。

力強い構成と抒情的な雰囲気が特徴で、
幅広い分野に作品を残しているが、
高度な作曲技法を駆使した27曲の交響曲、
13曲の弦楽四重奏曲、9曲のピアノ・ソナタ、
ヴァイオリン協奏曲などがあるが、ロシア音楽の
伝統の整備と回想をめざし、清楚で美しく
気品のある多くの作品を作曲している。

唯一の「ヴァイオリン協奏曲」は1938年に作曲され、
前年にイザイ国際コンクールにヴァイオリン部門で
優勝したばかりの、ダビットオイストラフによって
初演され、彼に献呈された。

後期ロマン派の流れを受けた濃厚な
抒情性が感じられる作品である。

       第1楽章 Allegro ed appassionato
       第2楽章 Adagio e molto cantabile
       第3楽章 Allegro molto



       (ヴァイオリン) ヴァレム・レーピン
       (管弦楽) マリインスキー劇場管弦楽団
       (指揮)  ワレリー・ゲルギエフ
                ♪ 私が聴いた音源 ♪





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