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...... 2019年05月09日 の日記 ......
■ 《 チャイコフスキーのお陰 》   [ NO. 2019050901-1 ] e_o

【 歌劇「アレコ」】

ラフマニノフ,セルゲイ・ヴァシリエヴィチ〔露〕
(1873.04.01〜1943.03.28) 70歳  癌



ラフマニノフと同時代のロシアには、急進的手法を
追求したスクリャービンや、アカデミズムな傾向の強い
グラズノフがいたが、彼はあくまでも保守的な一線を
固守し、チャイコフスキーの伝統への復帰こそ、
ロシアの音楽の正しい道であると考えていた。

彼は、叙情性とセンチメンタリズムを特徴とする、
チャイコフスキーの伝統を受け継ぐ
モスクワ学派の1人にあげられる。

1幕の歌劇「アレコ」は、 モスクワ音楽院の卒業作品
として1892年に作曲し、金メダルを授けられた。

原作はプーシキンの物語詩「ジプシー」で、
ジプシーの娘に惚れた貴族の青年アレコが、若い男と
浮気をした娘とその男を殺してしまう悲劇である。

・ アレコ : 貴族の青年(バリトン)   
・ ゼムフィーラ :ジプシーの娘(ソプラノ)
・ 若いジプシー(テノール)        
・ 老ジプシー : ゼムフィーラの父(バス)
・ ジプシーの老婆(メゾソプラノ)     
・ ジプシーたち(合唱)          

この作品は、チャイコフスキーのはたらきけけにより、
作曲の翌年の5月9日にモスクワのボリショイ劇場で
初演されたが、チャイコフスキーはリハーサルだけでなく、
本番では聴衆の喝采を先導した。

ラフマニノフは、後に初演の成功は、チャイコフスキーの
喝采のお陰だったと語っている。

その年の10月にはラフマニノフの指揮でキエフ初演が
行われ、オペラ指揮者としてのデビューとなったが、
そのとき、チャイコフスキーはサンクトペテルブルクで
交響曲第6番「悲愴」の初演が行われていて、
初演の直前にモスクワでお互いの成功を期して
言葉を交わしたのが、二人の最後の別れとなった。

チャイコフスキーは最後の大作となった、「悲愴」の
初演の9日後に急逝してしまった。

チャイコフスキー(1840.05.07〜1893.11.06)53歳

チャイコフスキーを熱烈に崇拝していたラフマニノフは、
「アレコ」や「岩 作品7」を称賛されたことを、
生涯誇りとしていて、追悼のために、
「悲しみに三重奏曲 第2番」を作曲した。

これはかつてチャイコフスキーがニコライ・ルビンシティンを
偲んで「ピアノ三重奏曲」を作曲したのに倣ったものである。





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