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...... 2019年03月30日 の日記 ......
■ 《 ハイドンの計らい 》   [ NO. 2019033001-1 ] e_sy

【 交響曲 第45番 嬰へ短調「告別」Hob,I:45】

ハイドン,フランツ・ヨーゼフ 〔墺〕
(1732.03.31〜1809.05.31) 77歳



「交響曲の父」とよばれているハイドンは、
104曲にのぼる交響曲を作曲している。

1772年の作品の「交響曲 第45番」を作曲したころ、
ハイドンは仕えていたエステルハージ家の
宮廷生活をしていた。
温厚で勤勉なハイドンは、楽員の人望を集め、
当主の信頼も厚く、その頃は宮廷楽長になっていた。

生活は完全に保証されていたが、自由のない
窮屈な毎日を強いられていて、それはハイドン
だけでなくて、楽団員も同じだった。

1766年ウィーンの南東およそ50kmに
アイゼンシュタットに城を構えるエステルハージ家の
当主のニコラウスは、ハンガリー平原の湖畔に
狩りのための城を改造して、豪華な宮殿を作り、
春から秋への半年間ここを本拠としていた。

ところがこの間、宮廷楽団の楽員たちは家族を
呼び寄せることを禁じられ、家族と離ればなれの
生活を強いられることになった。

その6年前の1772年の滞在は8ヶ月にも及び、
楽員たちの我慢は限界に達し、楽長のハイドンに
訴えてきた。
ハイドンはみんなの気持ちを音楽で表現し、
当主に伝えることを思いついた。

それは曲の最終楽章で、メンバーが譜面台の
ローソクを消しながら、一人一人静かに舞台から
去っていくという作品が「交響曲45番」で、
ニコラウス公はこの曲を聴き、演奏が終わるや
「ハイドンくん、わかったよ。明日楽員皆に休暇を
与えると伝えなさい」と言い、ハイドンの計らいは
実を結ぶことになった。

         第1楽章 Allegro assai
         第2楽章 Adagio
         第3楽章 Scherzo : Allegro vivace
         第4楽章 Finale: Presto - Adagio



       (管弦楽)アムステルダム・バロック管弦楽団
       (指揮) トン・コープマン
                ♪ 私が聴いた音源 ♪





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