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...... 2019年03月18日 の日記 ......
■ 《 歌劇を元に 》   [ NO. 2019031801-1 ] e_or

【 ムラダ組曲 】

リムスキー=コルサコフ,
   ニコライ・アンドレイ・ヴィチ 〔露〕
(1844.03.18〜1908.06.21) 62歳 心臓病



ロシア国民楽派「5人組」の最年少者の
リムスキー=コルサコフは、169年前の3月18日に
父の領地(ノブゴロド近隣のティフヴィン)で、
軍人貴族の家庭に生まれた。

幼児から音楽の才能を示し、6歳からピアノの
稽古を始め、9歳で作曲をしている。
両親は彼の楽才は認めていたが、特別の
音楽教育をする考えはなかった。

父は官吏だったが、一族には海軍の軍人が
多かった関係から、12歳で海軍兵学校に入学し、
士官候補生として、6年間ここで過ごした折、
本格的な芸術音楽に接した。

遠洋航海の生活を3年間経験しているが、
彼の作品に東洋的な情緒感が漂うのは、
そのときに東洋の国々の港に寄港したときの
体験によるものである。

後に、海軍軍楽隊の指揮者をした経験から、
管弦楽の使用について様々な知識を得たことは、
オーケストレーションの完成のうえで
非常に役立った。

彼の管弦楽は、色彩的であると同時に清明な
輪郭をもっており、彼が本領とした
標題音楽において、極めて効果的なものとなった。

5曲からなる「ムラダ組曲」は同じ名前の
4幕の歌劇を元に作られている。
ムラダとは西スラブ地方の領主の妻のことで
別の領主の娘がムラダの夫に恋し
妻は殺されてしまうという悲劇のヒロイン。

この歌劇が生まれるきっかけは、ボロディン、
ムソルグフスキー、キュイ、R.コルサコフスキー
という4人の作曲家の共同作品として、
サンクトペテルブルク宮廷歌劇場の支配人が
企画したことにはじまる。

しかし、その支配人がまもなく交代して、
計画は途切れてしまった。
R.コルサコフスキーはそれからおよそ20年後、
単独でこの歌劇を完成させ、
1892年に初演された。

第1曲 序奏          
第2曲 レドワ(ボヘミアの踊り)
第3曲 リトアニアの踊り    
第4曲 インドの踊り      
第5曲 貴族たちの行列     



        (管弦楽)オーデンセ交響楽団
        (指揮) エドワルド・セーロフ
             ♪ 私が聴いた音源 ♪





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