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...... 2019年03月08日 の日記 ......
■ 《 没後150年 》   [ NO. 2019030801-1 ] e_or

【 序曲「リア王」Op. 4 】

ベルリオーズ,ルイ・エクトル 〔仏〕
(1803.12.11〜1869.03.08) 65歳



ベルリオーズはフランス南部の田舎町で、
医師の父親の長男として生まれた。
音楽は、父のフルートで独習し、一般教育も
父の手によってなされ、学校には行かなかった。

父親が地方の名家の医師ということもあって、
18歳のときに、大学入学資格試験に合格し、
パリで医学を学んでいたが、オペラに夢中になり
音楽家にな ろうと独学で音楽の勉強を始めた。

後にパリ音楽院で、オペラと作曲を学んだ。
1830年 にローマ大賞を受賞したベルリオーズは、
賞金を得て、ローマに留学した。

ベルリオーズは、パリ音楽院で学んでいた24歳のころ、
有名な女優ハリエット・スミッソンに心を奪われた。
無名の貧しい学生の彼を相手にはしてもらえず、
そのときは、一方的な片思いに終わってしまった。

しかし、30歳のときに両親の反対にもかかわらず
2人は結婚をした。
そのときの立ち会い人の1人が、すでに有名だった
リスト(1811〜1886)で、ベルリオーズに寄せる
友情は厚く、その後にも経済的な
援助も惜しまなかった。

リストの「ピアノ協奏曲第1番」の初演は、
ベルリオーズの指揮、リストのピアノ独奏で
行なわれている。

スミッソンとの結婚生活は長くは続かず、
7年後には別居をし、国外の演奏旅行には、
歌手のマリー・レチオを伴うようになり、
スミッソンの死後に彼女と再婚した。

1854年にハリエットの死、その8年後にマリーの死、
さらに5年後にハリエットとの間の子どもの
ルイが死に、ベルリオーズは孤独感をつのらせた。

リストの好意で行なわれたオーストリア、ドイツ、
ロシアの演奏旅行が最後となり、一生を波瀾の多い
戦いのうちに過ごしたベルリオーズは、150年前の
3月8日に苦悩に満ちた65年の生涯を閉じ、
マンモルトル墓地で、二人の妻と共に
長い眠りについている。

1830年に最も有名な「幻想交響曲」を作曲したが
その翌年に書いたのが序曲「リア王」である。



       (管弦楽)モントリオール交響楽団
       (指揮) シャルル・デュトワ
             ♪ 私が聴いた音源 ♪





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