[PREV] [NEXT]
...... 2019年03月04日 の日記 ......
■ 《 私生活の悲劇 》   [ NO. 2019030401-1 ] e_co

【 ピアノ協奏曲 ホ長調 Op. 59 】

モシュコフスキ,モーリッツ〔独〕
(1854.08.23〜1925.03.04) 70歳 胃癌



ピアニスト、作曲家、指揮者として活躍した
ポーランド系ドイツ人のモシュコフスキは、
ブレスラウで生まれた。

ドレスデン音楽院の他、ドイツの諸都市で
音楽を学び、卒業後はベルリンに住んで、
母校でもあるクラシック音楽院で長い間ピアノを
教えながら、ピアニストおよび作曲家として
華々しい活躍をし、多大の名声を得た。

彼は、十九世紀後半ロシア国民音楽運動の
影響を受けたが、各国に起こった民族音楽運動の
強い感化もうけ、またフランスの影響をもうけた
多くの作品を書いた。

主に取り上げたのはスペインの民族音楽で、
熟練した巧者な技巧と洗練された典雅な
旋律で一貫し、深い独創性をも示している。

1897年にパリに移り、45歳のときに最初の
女性作曲家といわれた、セシル・シャミナードの
妹のアンリエッタと結婚した。
2人の子供をもうけたが、5年後に離婚している。

後に再婚をしたが2番目の妻も娘を連れて
彼の元を離れ、モシュコフスキは完全に
立ち直ることはできなかった。

二十世紀に入ると名声は衰えはじめ、
晩年は貧しく寂しい境遇におかれ、胃癌のため
94年前の3月4日にパリで70年の生涯を閉じた。

多くのピアノ小品をのこしているが、その作品中の
代表的なものに、4手のピアノ曲として
書かれた「スペイン舞曲」が有名である。

オペラ、交響曲、室内楽曲、ヴァイオリン協奏曲、
ピアノ協奏曲ものこしている。 

4楽章からなる「ピアノ協奏曲ホ長調」は、
華やかでショパンを思わせる。

1898年3月12日にイギリスで初演され、
モシュコフスキの弟子であった
ヨゼフ・ホフマンに献呈された。

          第1楽章 Moderato
          第2楽章 Andante
          第3楽章 Scherzo : vivace
          第4楽章 Allegro deciso



        (ピアノ)マイケル・ポンティ
        (管弦楽)フィルハーモニア・フンガリカ
        (指揮) ハンス・リヒャルト・ストラッケ
                 ♪ 私が聴いた音源 ♪





...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: