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...... 2024年07月31日 の日記 ......
■ 《 交響詩の創始者 》   [ NO. 2024073101-1 ] or

【 交響詩「前奏曲」】

リスト,フランツ 〔ハンガリー〕
(1811.10.22〜1886.07.31) 74歳 心筋梗塞



リストが愛する神に召されたのは、旅先の
バイロイトでのことだった。

音楽祭に向かう途中で風邪をひき、急性肺炎を
併発し、心筋梗塞のため138年前の7月31日
午後11時15分に息をひきとった。

晩年は心臓病、慢性気管支炎、鬱病、白内障を患い、
病気との闘いの日々だった。

葬儀は8月3日、バイロイトの全市をあげて行われ、
市立墓地に埋葬された。

リストは54歳のときに、カトリックの聖職者となる
手続きをとり、下級聖品(司祭以外の聖職者)の
儀式を受けていた。
その時から、彼はアベ・リストと呼ばれ、死ぬまで
神父の服をまとうことになった。

「ピアノの魔王」「交響詩の創始者」といわれていた
リストだが、交響詩を13曲作曲している。
そのなかで最も有名なのが1854年に作曲した
「前奏曲」である。

前奏曲というと、オペラや劇音楽などの開幕に
演奏する曲、あるいは組曲などの最初に置かれる
曲などを指すが、リストのこの交響詩は、
そういう前奏のための曲ではない。

交響曲のように多楽章のものではなくて、
標題となるイデーにしたがって、自由に構成された
単一楽章の交響詩を案出したのが、リストだった。

人生は死への一連の前奏曲である・・・
死を暗示するかのような不安な気分に始まり、
きびしい死の恐怖が叩きつけるように現れる。
やがて愛の生活が、甘く美しい旋律で歌われる。
それが嵐でさまたげられるが、田園の平和の中に
勇ましいラッパが聞こえ、人生の戦いに立ちあがる
勇壮な行進曲で死の恐怖を乗り越えて終わる。

フランスの詩人ラ・マルティーヌの「詩的瞑想録」の
中の一節がこの交響詩の序文に利用されていて、
「前奏曲」(ラ・プレリュード)には、
リストの署名が添えられている。

「われわれの一生は、死によってその厳粛な第1音が
奏でられる未知の歌への前奏曲でなくてなんだろう。
愛は、すべての心の輝くあけぼのだ。
しかし、その喜びと幸せのうえに、荒々しい風が
吹きすさんで希望を打ちこわす。
人はこのこのように傷つけられた心を、田園生活の
平和の中で癒そうとし、嵐の想い出を忘れようとする。
だが、そんな中に危急をつげるラッパが聞こえると、
その理由がどのようなものであっても、敢然と立って
戦いにおもむき、自信を取り戻すのだ。」

曲は4つの部分の分けることができ、
全体は一連の自由な変奏曲のようになっている。

第1部では「愛」を、第2部では「嵐」を
第3部では、ホルンの牧歌的な美しい響きも出て
田園での静かな生活が描かれる。
第4部では戦闘の行進曲が行なわれ、
華々しいクライマックスで曲は終わる。



(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) マリス・ヤンソンス        
           ♪ 私が聴いた音源 ♪





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