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...... 2024年07月08日 の日記 ......
■ 《 映画音楽 》   [ NO. 2024070801-1 ] or

【 交響組曲「キージェ中尉」Op. 60 】
        
プロコフィエフ,セルゲイ 〔ソ〕
(1891.04.23〜1953.03.05) 61歳 脳溢血
         

         
1922年から1991年まで存在していた世界最初の
社会主義国のソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)の
政権を嫌って、プロコフィエフは1918年に、
日本を経由してアメリカに渡った。

1922年までアメリカを中心に活躍し、1年くらい
ドイツに滞在してから、1923年にパリに定住した。

1927年に招かれてソ連に行き、モスクワなどで
ピアノ演奏会を開いた。
その2年後にも訪れているが、1932年11月に
ソ連に帰国した。

翌年にソ連的立場で手がけた最初の成功作が、
明るさと平明さ、ロシア民謡風旋律にあふれた
映画「「キージェ中尉」」の音楽で、
世界的に愛好されている。

プロコフィエフは「アレクサンドル・ネフスキー」な
ど数作の映画音楽を書いているが、1934年に封切
られた「キージェ中尉」は、ユー・トゥイニャノフの
同名の小説に基づいて作られたもので、帝政ロシアの
貴族社会の無能無知を諷刺した喜劇的内容である。

多少神経衰弱にかかっている皇帝ニコライ一世が、
昼寝中に女官の悲鳴で起こされるが、見回りの
責任者がキージェ中尉だと思い込み、
架空の人物が生まれてしまう。

監督不行届きで、彼は逮捕されシベリア流刑に処せられる。
しかし、キージェ中尉は暗殺者から自分を守るために
侍女に悲鳴をあげさせたのかもしれないと憶測をし、
シベリアから呼び戻され、美しい女官と盛大な
結婚式を挙げさせられる。

実在しない人物に振り回される侍従は、
キージェ中尉は死んだことにし、厳かな葬儀を行なう。
皇帝ニコライ一世は、葬列を見送りながら
冥福を祈るという筋になっている。

映画が封切られた年に、映画「キージェ中尉」の
音楽の中から、プロコフィエフは5曲を選んで
交響組曲「キージェ中尉」を作り、同じ年の
7月8日にモスクワで初演された。

第1曲 キージェの誕生
第2曲 ロマンス   
第3曲 キージェの結婚
第4曲 トロイカ   
第5曲 キージェの葬送



(管弦楽)シカゴ交響楽団   
(指揮) クラウディオ・アバド
     ♪ 私が聴いた音源 ♪





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