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...... 2024年02月15日 の日記 ......
■ 《民族舞曲》   [ NO. 2024021501-1 ] or

【 マドリードの夏の夜の思い出 】

グリンカ,ミハイル・イヴァノヴィチ 〔露〕
(1804.06.01〜1857.02.15) 52歳



グリンカは、ロシア国民楽派の祖として
知られているが、十九世紀の東ヨーロッパにおける
国民主義音楽の先駆的存在でもあった。

十九世紀前半のロシアでは、貴族はドイツ音楽や
イタリア・オペラに夢中になっていたが、
一般民衆のための芸術音楽は、無に等しい存在だった。

自由な考えをもつ貴族出身のグリンカは、
そんな状況をなんとかしようと、ロシア独自の
国民的な音楽文化を築き上げようと努力した。

彼は早くから音楽の勉強をしていたが、
父の意志により、運輸省に勤務したものの
6年後に公職を辞して、音楽の勉強をやり直している。

1845年から47年にかけて、彼はスペインで
過ごしたが、旅を終えてポーランドに帰り、
翌年からしばらくワルシャワに定住した。

1851年にグリンカは、ワルシャワ公の
イヴァン・パスケーヴィッチの知遇を得て、公の
管弦楽団のために作曲したのが、幻想的序曲
「マドリードの夏の夜の想い出」である。

グリンカは、ロシア・シンフォニズムの確立者としても
知られているが、優美なカスティリア地方の
ホタのリズムなど、4つの民族舞曲の連曲の
形式をとっていて、巧みな管弦楽法によって、
南国の香りを豊かに漂わせ、後の印象派の
手法に近いものを感じさせる作品となっている。

47歳のときに母親の死にあった グリンカは、
もともと身体の弱かったこともあり、その後
健康がすぐれなかった。

彼は死の前年、教会音楽を研究するために
ベルリンに赴いたが、十分に成果をあげないうちに
167年前の2月15日にこの地で客死した。



(管弦楽)ソビエト国立交響楽団    
(指揮) エフゲニー・スヴェトラーノフ
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





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