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...... 2023年01月31日 の日記 ......
■ 《 女流作家の戯曲 》   [ NO. 2023013101-1 ] or

劇音楽「キプロスの女王ロザムンデ」D. 797 - 序曲
      
シューベルト,フランツ・ペーター 〔墺〕
(1797.01.31〜1828.11.19) 31歳 チフス
             

                
シューベルトは226年前の1月31日に
ウィーンのリヒテンタールで生まれた。
父親はウィーン近郊の教区の校長で、
再婚後の子どもも含めて、15人の父親だった。
その半分は若死しているものの、
子どもを育てるための経済的負担は大きく、
生活は楽ではなかった。

教育家の父は厳格で、後年シューベルトに
楽才があることを認めても、生活の安全のため
専門家になることを喜ばず、
自分と同じ教師になることを強要した。

11歳のとき、宮廷の費用で音楽教育を
受けられる官費学校に入った。
そのころから多くの作曲をしていたが、
貧しくて5線紙を買うお金もなかった。
しかし、シューベルトには援助をしてくれる
数多くの取り巻きがいた。

シューベルトの作品は、人の心の自然な思いが、
素直に流れ出たロマンティックなもので、
なんの気取りもなく、あまりに純粋、
理屈抜きに聴き手は胸にじんとくる。
健康で、ひねくれたところのない音楽だから・・・

27歳の1824年の初めごろ、シューベルトは
不健康に悩み続けていた。
「私は毎晩寝床に入るとき、もう再び眼が覚めない
ようにと願います。そして朝になると、ただ前日の
悲しい思いだけがまた私のところにやってきます。
こんなに喜びも親しみもなく私は日を過ごして
いるのです。私の作品は、音楽への私の理解と、
私の悲しみとの現われです。悲しみによって
創られた作品のみが、人々を最も楽しませることが
できるように思われます。
悲しみは理解をするどくし、精神を強めます」
日記には、このように書かれてあった。

10曲からなる付随音楽の「ロザムンデ」は、
略さないで書くと、「キプロスの女王ロザムンデ、
四幕のロマン的劇、ヘルミーネ・フォン・シェジー作」で、
この脚本は失われて現在は見ることができない。

作曲してすぐの1823年12月20日に
アル・デル・ウィーン劇場で初演された。

女流作家のヘルミーネ・フォン・シェジー
(1783-1856)は、自分の作品を音楽化することが
非常に好きで、ウェーバーもこの詩人の
「オイリエンテ」を作曲させられた。


       
(管弦楽)ヨーロッパ室内管弦楽団
(指揮) クラウディオ・アバド 
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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