 【 二つのフルートのための協奏曲 ト長調】 チマローザ,ドメニコ 〔伊〕 (1749.12.17〜1801.01.11) 51歳 胃癌
 「イタリアのモーツァルト」といわれた、 十八世紀の後半における代表的喜歌劇作家の チマローザは、モーツァルトが生まれる7年前に ナポリ近郊のアヴェルサで生まれた。
父はレンガ職人、母は洗濯婦という貧しい家庭に 生まれ、早くに父と死に別れたチマローザは、 近くの僧院の神父からオルガンを習った。
11歳のとき楽才を認められて、ナポリの サンタ・マリア・ディ・ロレト音楽院に入学を 許可され、そこで11年間学び、作曲家となった。
最初のオペラがナポリで上演され、続いてローマでも 次々と初演されると、チマローザの名前は、 一躍ヨーロッパで有名になり、ナポリの王宮教会の オルガニストの地位についた。
38歳のときに、ロシアのカテリーナ二世の 宮廷作曲家としてペテルスブルグに赴いた。 4年後には、オーストリアのレオポルド二世の招きで、 アントニオ・サリエリの後任として宮廷楽長などを経て、 ナポリ王の宮廷楽長も務めた。
オペラ「秘密の結婚」を書いたのは1792年、 サリエリの後を継いだ年である。
その後、ナポリで暴動が起き、ナポリ王の国外逃亡、 フランス共和軍のナポリ占領、そして後に王が帰国し ブルボン王朝が復活した。
急進的思想の持主であったチマローザは、 ナポレオン軍がナポリに進駐してきたのを歓迎して 讃歌を作曲していたので、1799年の ナポリ共和国設立運動に加わったかどで捕らえられ、 死刑の宣告を受けて、牢獄に監禁された。
だが、ロシア宮廷からの申し入れによって チマローザは釈放され、ナポリから追放された。 221年前の1月11日にペテルブルグへ赴く途中、 肺癌のためヴェネチアで52年の生涯を閉じた。
「二つのフルートのための協奏曲」は、 協奏交響曲のスタイルを借りていて、形式的に かなり自由で、オペラ作曲家らしい歌心に 溢れた作品である。
第1楽章は、全合奏による力強いテーマで始まり、 合奏と独奏が交替しながら美しい旋律が流れる。 2つのフルートが楽しい会話を繰り広げる 第2楽章から、軽快なロンド形式の第3楽章へは 休みなく続けられる。
第1楽章 Allegro 第2楽章 Largo 第3楽章 Allegretto ma non troppo

(フルート)ジェームズ・ゴールウェイ (フルート)ジミー・ゴールウェイ (演奏) ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ (指揮) ジェームズ・ゴールウェイ ♪ 私が聴いた音源 ♪
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