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...... 2021年07月21日 の日記 ......
■ 《 舞曲のシューベルト 》   [ NO. 2021072101-1 ] or

【 ワルツ「わが人生は愛と喜び」Op. 263 】

シュトラウス,ヨーゼフ〔墺〕
(1827.08.22〜1870.07.21) 42歳



ヨハン・シュトラウス一世の次男ヨーゼフは、
ウィーンで生まれた。
おとなしい性格で、音楽も好きだったが、
父の意志に従って建築技師となり、仕事の余暇には
発明に没頭して、特許を申請したりしていた。

26歳のときに兄のヨハンが過労で倒れ、
代理指揮者として舞台に立つようになり、
その後、本格的に作曲の勉強を始めた。
詩、絵画には深い造詣を持ち、
後に作曲に生かされている。

ヨハンは陽気でおしゃれで、短気で行動的だったが、
ヨーゼフは静かで、内気で、無口で、兄とは
全く対照的な性格だった。 
音楽的才能は非常に豊かで、ヨーゼフの指揮は好評で
特に女性たちから支持されていた。

ピアノの小品と舞踏音楽に専心し、280曲以上もの
作品を作曲しているが、兄とは違い社交的でなく
孤独を愛する性格だったこともあり、短調の作品が多い。

彼の音楽の源泉はシューベルトにあり、
ウィーンでは「舞曲のシューベルト」と呼ばれていた。

神経質なヨーゼフは、突然の母の死でひどい
ショックをうけ、気がすすまないワルシャワでの
演奏会の指揮をしているときに指揮台から転がり落ち、
後頭部を強打して失神した。

妻とヨハンがかけつけてウィーンに運んだが、
これが結局、彼の命取りとなり151年前の7月21日に
脳卒中で42年の生涯を終えた。
長生きをすれば、兄以上にすばらしい作曲家に
なっていたかもしれないと、兄自身が認めていた。

「わが人生は愛と喜び」は、後に映画「会議は踊る」で
「新しい酒の歌」の名で主題歌として使われた。
彼の作品では「天体の音楽」も、舞踏会の場面で
流されている。



(管弦楽)ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) ルドルフ・ケンペ         
          ♪ 私が聴いた音源 ♪





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